紀行

健康ご利益めぐり-3 目黒区(1)


平野 武宏

東京23区で二番目に健康ご利益が多いのは目黒区です。
まずは下目黒地区にある健康ご利益を目黒駅からスタートします。
目黒駅の場所は農作物の畑を避けて坂の上に駅を設けたそうで、品川区内にあります。

最寄駅は代表例です。

[目黒区]

[悩みがとろける]大円寺(だいえんじ) とろけ地蔵 下目黒1-8-5
                          最寄駅 目黒駅
                     

目黒雅叙園方面の急坂「行人坂」の途中にある天台宗のお寺。山手七福神の大黒天。明和9年(1772年)この寺から火が出て江戸の中心部を焼きつくし死者1万人を越える江戸二番目の大火「目黒行人坂火事」の火元。寺に侵入した盗人(僧との説もあり)による放火だそうですが、永い間、寺の再建は許されなかったとのこと。
                  
本堂の左手にある「とろけ地蔵」は 石造りのお地蔵さまで顔も形もはっきりしない奇妙な形をしています。
説明板には「江戸時代に目黒川に船着場があった頃が海から引き揚げてきた仏様で昔から悩み事をとろけさせてくれると信仰されている」とありました。
とろけた地蔵様なので病気の悩みや苦しみを知らないうちに、とろけさせてくれるというのがミソ。後ろにあるのは目黒行人坂火事で亡くなった人々を供養する石仏群です。
 
[病気平癒] 大円寺 薬師如来像

本堂の右側には金色の薬師如来が鎮座していました。よく見ると金箔が貼り付けられています。「邪悪退治、病の平癒を願うため500円金箔をを買い、御真言を唱え、体の悪い部分に貼り付ける」と説明があり。
病気平癒も金次第です。
境内には「八百屋お七と吉三(西運)」の碑がありました。
説明板には「吉三はお七の処刑後、僧になり諸国を行脚、後に明王院(今の雅叙園のあたり)に入り、お七の菩提をともなうため浅草観音まで往復十里の道のりを鉦をたたき念仏を唱える一万日の行を27年5ケ月かけて成し遂げた。
又、人々からの浄財を基金にし、行人坂の敷石の道や目黒川の太鼓橋をかける社会事業を行っている」と記載。


[美人・美肌、顔のけが]蟠龍寺(ばんりゅうじ) おしろい地蔵
                   下目黒3-4-4 最寄駅 目黒駅


目黒川にかかる太鼓橋を渡り、山手通りまで行くと目の前にあります。宝永6年(1709年)浄土律復興のため、増上寺の高僧・霊雲上人が行人坂下の称明院をここに移して蟠竜寺と改名したとのこと。山手七福神の弁財天が本堂右手奥にある洞窟に祀られています。本堂の後ろの墓地手前に「おしろい地蔵」がありました。
                     


顔に白粉や紅が塗られており以前は浅草にありましたが、関東大震災後この地に移されたとのこと。
顔の病を治してくれるお地蔵様で、交通事故などで顔にケガをした女性がお参りに来るばかりでなく美人や美肌になりたいと願う女性もしばしば訪れるそうです。
  
[イボ・タコ・ウオノメ取り・痔]成就院(蛸薬師)お撫で石 下目黒3-11-11
                              寄駅 目黒駅


五百羅漢寺前から左手奥に見えるのが天台宗の成就寺。側面にあるユニークな「たこの看板」が目印です。寺の説明板には「別名 蛸(多幸)薬師。創建は慈覚大師で本尊の蓮華座を三匹の蛸が支えている。これは大師が海に投じた薬師像が蛸に乗り漂着した故事に由来し、蛸薬師の名もここから付いた」と記載。たこ看板の前にあるのは二代将軍徳川秀忠の側室お静が男子を得たお礼で奉納した「お静地蔵」。男子とは後の保科正之(会津藩松平家祖)です。

ガイド本には「ご本尊の薬師像は弘法大師の作と称する。たこ薬師の名は諸説あるが、要するにたこを食うことを断ち、祈願すればイボ・タコ・魚の目・痔等出っ張っている病に霊験がある。又「お撫で石」と称する石に触れれば難をまぬかれると信じられた」とあります。お寺の人に「お 撫で石」はどこにあるのかと聞くと、お守りとして1,500円で販売、持ち帰り、家で撫でてくださいとの返事。イボ平癒も金次第でした。

[諸病平癒]瀧泉寺(りゅうせんじ) 目黒不動 下目黒3-20 
                       最寄駅 目黒駅

立派な仁王門(写真左)のある瀧泉寺は延暦寺を本山とする、天台宗山門派。
大同3年(808年)慈覚大師開創の関東最古の不動霊場。
                  
三代将軍徳川家光が鷹狩で訪れ、愛用の鷹が行方知れずになり、家光自らが鷹が戻るよう不動明王に依願した所、たちまち鷹が本堂の前の松の木に戻ってきたという。
不動明王の威力を敬い、大伽藍に造り変え、目黒不動とし江戸五色不動の一つとしました。
江戸城守護・江戸城五方の方難除け、江戸五街道(ここは東海道)の守護に当てられました。将軍家光が腹違いの弟(保科正之)と初対面したお寺だそうです。ガイド本の寺名の読み方は「ろうせんじ」ともあり。
仁王門から正面石段(男坂)を上がると怖いお顔の不動明王が安置の壮麗な本堂(写真上)があり、本堂裏手には優しいお顔の大日如来が鎮座。

[眼] 瀧泉寺 大日如来


真言密教の教主・ご本尊で奈良の大仏も大日如来です。宇宙の根本の仏様でどんな願いもかなえてくれるといいます。
「ニッポンの神様図鑑」によると「不動明王はヒンズー教のシバ神の異名で、それが密教に取り入れられ、密教の仏様である大日如来の使いとして憤怒相化身したとされており人間のすべての罪障(成仏の妨げとなる罪業)を消滅させる仏様だそうです。
怖い顔はどんな仏様でも救われなかった罪深い人間を最後の最後で救うのが不動明王だからです。
背負っている炎は地獄の業火に焼かれながらも地獄に堕ちるはずだった死者を救う姿だそうです」と記載。

[足・腰]瀧泉寺 神変大菩薩 役行者


本堂から女坂を下ると、途中に黒光りした役行者こと役小角(えんのおづぬ)が安置。
奈良時代の呪術家で修験道の祖で山を駆け巡ったり、お堂を崖に投げた逸話の持ち主。足・腰の病に効験ありとのこと。
[病気平癒] 瀧泉寺 水かけ不動  [足・腰] 瀧泉寺 腰立不動


仁王門手前に下りると、慈覚大師が独鈷(とっこ)で地面を掘った所、湧き出したという独鈷の滝(寺号はこの滝から名づけられた)には代わりに水を浴びてくれ苦しみを流す「水かけ不動」、左手奥には足・腰に良いとされる「腰立不動」があります。その他「サツマイモ」の青木昆陽の碑、「童謡作曲家」本居長世の碑、外側には山手七福神の恵比寿堂、白井権八と遊女小紫の「比翼塚」など健康ご利益以外の見どこが沢山ありました。
(寅さん歩 その7江戸五色不動 参照)

[眼・糖尿病・成人病・ボケ防止(認知症)]大鳥神社 櫛塚   
                   下目黒3-1-2 最寄駅 目黒駅

山手通りと目黒通りが交差するところにある名刹です。
大同元年(806年)創建と言われ、目黒区内では最古の神社で酉の市でも賑わいます。成人病とは今の生活習慣病、寅次郎も今後お世話になる病のご利益です。
社殿右に「櫛塚」があります。
  

平成元年9月4日「くしの日」に美容週間実行委員会奉納の「くし塚の由来と参詣のご利益」の説明板には「くしは古来から幸運のシンボルと考えられてきました。古事記による、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉の国(死の世界)に妻に会いに行き、逃げ帰るときに「竹くし」を抜いて灯明にして生還、大鳥神社の御祭神日本武尊命のお妃は浦賀水道で身を投げて海神の怒りを収め、その「くし」は浜に流れ着き今も祀られています。くしはこのように人生の歩む道を照らし身代わりになる力を持っています。「くし塚」にお参りすると開運、無病息災、家内安全が得られます。特に目黒大鳥神社の御祭神は目の病、成人病、糖尿病、ボケにかからないために又、病に苦しむ方々をお救いする神様です」と記載。
(日本武尊命妃の櫛の話は寅さん歩その9 東京の富士塚めぐり-6 江東区 亀戸富士を参照)
     

 [寄り道] 目黒雅叙園  下目黒1-8-1 最寄駅 目黒駅
                   

行人坂の大円寺下にあります。
その独特な装飾美から「昭和の竜宮城」と呼ばれる昭和5年(1930年)開業の総合結婚式場・宴会場です。レストランや有料のイベントもありますが、ロビー周辺(写真左)は無料で見学・庭園を眺めての休憩も出来ます。



[こぼれ話 おとこ病]

「寅さん歩」の愛読者Kさんから、健康ご利益で「婦人病」はあるが、「おとこ病」があったら探してくださいとの要請がありました。
寅次郎、早速調べました。「日本の神さま おもしろ小事典」によると原始時代から世界中でその種の神様(性神)は男性のシンボルの形をしていて、広く信仰されていました。江戸の町でも数多くご利益を授けていましたが、明治の世になると卑猥なものはいかんというお達しが出たため、日本橋から投げ込まれたといいます」と記載。
又ひとつ江戸を学んだ寅次郎でした。
東北地方には「金精さま」や関東には川崎市の金山神社「かまならさま」があるそうです。

次回は目黒区の東横線沿線の健康ご利益をめぐります。

平野 寅次郎 拝