米長邦雄永世棋聖が急逝され、早くも一年余り経ちました。会報に昨年2月号(HPでは「ひろば」25年2月掲載)で棋士の兄米長修さん(FWA会員)に、棋士の思い出について寄稿して頂きました。今回喪が明けたことで、いま一度寄稿をお願いしました。 (写真は米長修さん) |
米長 修 |
早いもので将棋プロの弟、米長邦雄永世棋聖が亡くなってから一年経ちました。一周忌が済み喪が明けたのを機に、日頃お世話になっているウオーキング仲間の皆さんに弟のエピソード、それも一部の人しか知らない
とっておきの話を披露しましょう。 弟は現役時代棋聖位五期を始め沢山のタイトルを取りましたが、将棋界で最も伝統があり格の高い名人位だけは、六度挑戦者になりながら当時最強を誇った中原誠名人に悉く退けられてしまい、なかなか手にすることが出来ませんでした。そして棋士としては晩年となる四十九歳の時に七度目の挑戦者となり、漸く名人位を奪取したのでした。永年の悲願だった名人位を得るにあたって、実は世にも不思議な裏話があったのです。ただ余りにも現実離れしているので、そんなことが起る訳がないと疑う人がいるかもしれませんが、これから記すのはすべて事実です。 私の知人に、人の上に立つ人物には加護する神仏がついている、それが誰か判るという超能力者(今は故人)がいました。七度目の名人戦挑戦者になった時弟に引き合わせたところ、弟の背後を凝視すること暫し、「貴方には鑑真和上がついておられます。唐招提寺にお参りに行きなさい。そこで必ず奇跡が起こります。」 鑑真和上は中國の高僧で、日本に仏教の戒律を教えようと渡航を試みるも五度失敗、遂に失明するも六度目に成功して奈良の唐招提寺で十年間講義し、遷化後は弟子の作成した坐像(国宝)が御影堂に祀られ、唐招提寺の最も神聖な場所とされて、年一度の公開日以外は一般人の目に触れることはない。 弟は事前予約なくふらりと唐招提寺を訪れ、折から境内を歩いている僧に鑑真和上に会いに来ましたと言うと、どうぞと御影堂に通されなんと鑑真和上の目の前に座ることを許された。なにを思い、何を語り、どんなお声が聞こえたのか語ることはなかった。ただ暫くすると何とも言えない美しい鳥の鳴き声が聞こえてきたという。 やがて別室で話をしたのだが、この僧は当時唐招提寺で二番目に偉い方だったとか。「いや驚きました。あなたに和上に会いたいと言われて、何のためらいもなく御影堂にご案内してしまいました。一般の方を御影堂の中にご案内することはないのですが、どうしてそうなったのか不思議でなりません。」「ところで先ほど美しい鳥の鳴き声が聞こえましたがどういう鳥ですか。」「え、私には何も聞こえませんでしたが。そうですか。仏教の教えで仏と人の心が一体になった時、迦陵頻伽(かりょうびんが)という鳥の声が聞こえるといわれていますがまさにそれです。」 まもなく行われた名人戦七番勝負では、それまで勝てなかった中原名人に4―0のストレートで圧勝、悲願の名人位を手にしたのでした。将棋の勝負は知力の戦いであり、神仏の助けを借りることはあり得ないのですが、この時ばかりは鑑真和上のご加護があったのに間違いないと信じています。 |