紀行

健康ご利益めぐり-8 新宿区−1


平野 武宏

健康ご利益めぐり-7で江東区が目黒区を抜いて、東京23区で2番目のご利益があると申しましたが、実は新宿区がさらに江東区を抜いて2番目にご利益があることが判明しました。一つの寺社内に複数のご利益の神様・仏様があったことによる逆転です。
新宿駅周辺からスタートします。寅次郎の住まいからは近場で一度訪れた場所も多く、ご利益探しに安心感があります。でも知らない土地でのご利益探しのあのワクワク・ドキドキ感は薄いですが・・

最寄駅は代表例です。寄り道の価格は訪問時のものです。

[新宿区]

 
[諸病平癒]太宗寺(たいそうじ) 江戸六地蔵 新宿2-9-2 
                         最寄駅 丸の内線 新宿御苑前駅


慶長元年(1596年)頃に太宗という僧侶が建てた草庵「太宗庵」が起源。後に信濃高遠藩 内藤家菩提寺となりました。内藤新宿の中心にあり、多くの文化財が残っている浄土宗のお寺です。
入口右手に正徳2年(1712年)造立の江戸六地蔵露座。地元の人々や甲州街道を旅する人々の健康を見守っています。(寅さん歩その4-3、そのー6参照)

[咳]太宗寺 閻魔堂 奪衣婆(だっいば)  



境内右側の写真
 左:閻魔堂  右:江戸六地蔵
奪衣婆像

写真上は閻魔堂内にいる怖そうな奪衣婆像です。堂内の写真がうまく撮れないので、お寺のパンフレットをから引用しました。
明治3年(1870年)作で閻魔様のお使いとして隣に座り、閻魔様の命令で死者の着物を脱がすことから、男性客の着物を脱がすようにと内藤新宿の遊女達から「しょうずか(正塚)の婆さん」と呼ばれ、「商売神」として信仰されました。ご利益は咳の病平癒です。
 

 
 [こぼれ話]太宗寺 閻魔様のご利益


 
閻魔堂の正面に鎮座する閻魔様は文化11年(1814年)作とのこと。扉の金網越しに撮影しました。
左側に上の写真の奪衣婆がいます。
閻魔堂のご開帳は7月15日・16日で藪入り・お盆で地獄の釜の蓋が開く時だそうです。
閻魔様のご利益は「子供の非行防止」、「問題児の更生」とのこと。
閻魔様は子供にとっても怖い存在のようですが、子供たちをしつけ、守ってくださっています。近くに歓楽街歌舞伎町がある新宿にはぴったりの存在です。
また、弘化4年(1847年)には泥酔者が閻魔像の目を取る事件が起こり、錦絵になるなど江戸中の評判になったそうです。

[イボ取り]太宗寺 塩かけ地蔵



境内左側の写真
左:塩かけ地蔵 右:不動堂

塩かけ地蔵はイボ取りの効験があり、願掛けの返礼に塩をかける風習のあるお地蔵様ですが、造立年代や由来は、はっきりしません。
不動堂には新宿山ノ手七福神の布袋様が鎮座(寅さん歩その4-3参照)
 

 
 [咳・虫封じ]正受院(しょうじゅいん) 奪衣婆  新宿2-15 
                         最寄駅 丸の内線 新宿御苑前駅


太宗寺の裏側の靖国通りの新宿北一丁目信号前にあります。
文禄3年(1594年)創建の浄土宗の古刹。幕末までは会津藩主 松平容保が埋葬されていたそうです(現在は会津若松に改葬)奪衣婆は入口右手にあるお堂(写真右)に鎮座。ガラス越しに撮りました。咳止めや子供の虫封じにご利益もあるとされています。治ったお礼に頭に綿をかぶせていたため、祈願者から「綿のおばば」と呼ばれ、太宗寺の婆よりも優しいお顔ですが、三途の川で渡り賃を持たない者や生前罪を犯した者からは着物を剥ぎとる怖いお方。
     
嘉永2年(1849年)にこの像に祈れば何事も成就するとの噂が広がり、大賑わいで錦絵版画が大量に売られたとか。
又、寺に忍び込んだ盗賊が奪衣婆の霊力で足がすくんで動けなくなり捕まったとか。火事の時に自ら立ち上がり火をもみ消したなど噂が広がり江戸後期の「流行神」だったそうです。

境内には「和装」(無形文化財)の最高権威者で人間国宝小泉外次郎の碑(写真右)や昭和17年(1942年)戦争で金属供出した鐘が米国アイオワ州立大学で見つかり 昭和37年(1962年)返還された洋行帰り梵鐘がありました。




 [夜泣き]成覚寺(じょうかくじ)旭地蔵(夜泣き地蔵) 新宿2-15
                         最寄駅 丸の内線 新宿御苑前駅


正受院に隣にある文禄3年(1594年)創建の浄土宗のお寺です。
門を入ると左側に「子供の夜泣き」にご利益があると言われている地蔵尊があります。
説明板によると「三界万霊と刻まれた台座に露座。錫杖と宝珠を持つ石の地蔵で蓮座と反花の間に18人の戒名が記されています。これらの人々は寛政12年(1800年)〜文化10年(1813年)の間に宿場内で不慮の死を遂げた人達で、その内7組の男女はなさぬ仲を悲しんで心中した遊女と客たちと思われます。宿場中が合力し供養のため建立した。別名「夜泣き地蔵」と呼ばれました。明治12年(1879年)道路拡張のため新宿御苑北側からここに移設された」と記載。 

又、この寺は江戸時代内藤新宿の飯盛り女たちの「投げ込み寺」で、子供と呼ばれた飯盛り女たちは年季開けの前に死ぬと、この寺に棄てられるように埋められ、その数は約三千人に上ると伝えられています。
悲しい雰囲気が漂う子供合埋碑(こども ごうまいひ)に手を合わせた寅次郎です。

 [病気平癒]稲荷鬼王神社 歌舞伎町2-17-5
              最寄駅 大江戸線 東新宿駅


職安通りと区役所通りとの接点にあります。古くから大久保村の聖地とあがめられたそうです。
天保2年(1831年)稲荷神社鬼王神社合祀、稲荷鬼王神社になりました。
鬼王の名は平将門の幼名「外都鬼王」「鬼王丸」にちなむと言われています。江戸時代から信仰の「豆腐断ちの風習」があり、神社に豆腐を奉納、病が治るまで豆腐を断ち、授与された「撫で守り」で撫でると平癒すると伝えられています。社殿の左側には富士塚(西大久保富士)があります。(寅さん歩その4-3、その9-1参照)

 [健康成就]稲荷鬼王神社 恵比寿神社(三島神社)かえる石

境内の左側にある新宿山ノ手七福神の開運 恵比寿神社。説明板によると「正面の恵比寿様にお参りしてから、手水(写真左側)から柄杓かえる石(写真右側のしめ縄の石)に水をかけ、次にかえる石をさすりながら次の言葉を三度、心の中で唱えます

   ・一日の無事、交通安全、旅行安全を願う人は「無事かえる」
   ・開運を願う人は「良き運にかえる」
   ・金運を願う人は「金かえる」
   ・縁結びを願う人は
      「想い人の心が自分にかえる」
      「待ち人がかえる」
   ・健康を願う人は「若かえる」
   ・あらゆる願いは「かなえる」

その後、もう一度恵比寿様にお参りします」と記載。
寅次郎は健康を願って「若かえる」と三度心の中で唱えました

[熱病・夜泣き] 稲荷鬼王神社の水鉢


神社入口すぐ左にあるユニークな水鉢です。
説明板によると「文政年間(1818〜1829年)の頃に製作されたもので、うずくまった鬼の頭上に水鉢を乗せた珍しい様式。碑の脇にある石碑には旗本 加賀美某の邸内にあったが毎夜水を浴びるような音がするので、ある夜刀で切りつけた。その後、家人に病災が頻繁に起こったので天保4年(1833年)当社に寄進された。台座の鬼の周辺にその時に刀傷痕が残っている」と記載。この水鉢に水を注いで祈願すると熱病夜泣きが治るとも言われている。






 [寄り道]餃子の福包 新宿2-8-6 最寄駅 丸の内線 新宿御苑前駅

太宗寺の近くにあり、新宿通りで帰りに見つけたお店です。
これもお参のご利益のひとつか?
餃子ランチ(平日限定 11:30〜15:00)焼き餃子・水餃子から2皿を選び、ライス・スープ付きで580円。


同じ餃子2種でも可。にんにくあり・なしも選択。
寅次郎はにんにくありの焼き餃子と水餃子を注文(写真上右)
     
餃子は寅次郎の大好物で「餃子は疲労回復・スタミナ回復の源」と信じてやみません。若い頃から餃子を食べての成功体験があったと言っていますが、根は単純なお方のようです。

次回も新宿区のご利益めぐりです。

平野 寅次郎 拝