紀行

健康ご利益めぐり-9 新宿区−2


平野 武宏

新宿区の健康ご利益の続きです。ここでもユニークな神様・仏様に沢山お会い出来ました。
最寄駅は代表例です。寄り道の価格は訪問時のものです。

[新宿区-2]

[眼] 市谷亀ヶ岡八幡宮 茶の木稲荷 市谷八幡町15 
                    最寄駅 JR市ヶ谷駅

 

市ヶ谷駅から市ヶ谷橋を渡り、靖国通りを防衛省方面に左折、すぐ右側にあります。写真左上は市谷亀ヶ岡八幡宮の入口、階段の右手は駿台予備校市ヶ谷校舎の入口です。
左の提灯があるのが茶の木稲荷(写真右は正面)で階段の途中にありました。
茶の木稲荷は市谷亀ヶ岡八幡宮の摂社です。お茶と眼病との関係は不詳ですが、白狐が茶の木で目を傷めたことからお茶を断ち祈願すれば眼病が治るとの説があり。
お茶のような日常に欠かせないものを犠牲にすれば願いが叶うと理解しました。写真右は階段上にある市谷亀ヶ岡八幡宮社殿(太田道灌が江戸城築城の際に鎌倉八幡宮から分霊)の右手前には出世稲荷がありましたが、もうお参りの必要はない寅次郎でした。

[眼・健康成就]秋葉神社 正雪地蔵   矢来町3
                     最寄駅 大江戸線 牛込神楽坂駅


牛込中央通りと大久保通りの交差点先を行くと、団地の先に案内表示がありました。鳥居を入り右側に正雪地蔵があります。正雪とは倒幕をはかり憤死した由井正雪です。神社は名前の通り火伏せ(防火)のご利益ですが、正雪地蔵は眼病平癒に霊感あらたかとされ、正雪が深く信仰した地蔵とのこと。
眼病平癒との関連は諸説ありますが、かって地蔵に近づくと眼がつぶれると噂され、それが転じたらしいとのこと。

[無病息災]厳島神社 抜弁天 余丁町8-5 
               最寄駅 大江戸線 若松河田駅


職安通り沿いの一角にあります。
正式名称は「厳島神社」ですが、通称「抜弁天」と呼ばれています。
説明板によると「源義家がこの地に立ち寄り祈願したことで苦難を切り抜けられたとの伝説と境内参道が南北に通り抜けできることから「抜弁天」と言われました。新宿山の手七福神の辨財天です。

説明板には「五代将軍綱吉の生類憐れみの令でこの付近に野犬の為の2万5千坪の犬御用屋敷が設置された」と記載。
 (寅さん歩その4-3参照)

[眼・諸病平癒]水稲荷神社  西早稲田3-5-43 
               最寄駅 都電荒川線 面影駅


面影橋駅から新目白通りを横断、早稲田方面に行くと、すぐ右側に裏手の入口の鳥居があります。
左側は甘泉園公園(清水徳川家の下屋敷だった場所)です。
天慶4年(941年)藤原秀郷が富塚の地(現早稲田大学構内)に稲荷天神を勧請、水稲荷と命名。元禄15年(1702年)ご神木の椋の根元から霊水が湧きだし、眼病に効くと評判になり、火難退散の御神託が下り、「水稲荷神社」と改名。眼病平癒の他、消防・水商売の神様となりました。
昭和38年(1963年)早稲田大学と土地交換を行い、現在地に遷座しました。 この神社周辺は富士講のゆかりの地で訪れています。
 (寅さん歩その9-1参照)

[こぼれ話] 早稲田大学合格祈願参り

水稲荷神社(写真上)にお参りすると、賽銭銭箱横に「早稲田大学合格祈願の参詣者の皆様」宛の掲示がありました。内容は次の通りです。
本殿の参拝を済ませたら案内図に従いまして高木神社、北野天神社へご参拝ください。両社は創立者大隈重信侯が毎日拝礼されました早稲田大学に御縁の深い神社でございます」と記載。
この親切な掲示で多くの方々が早稲田大学に合格したことでしょう。
家族や友人に早稲田大学合格者がいる寅次郎、掲示に従い、社殿脇・裏にある両社に遅ればせながら、お礼の代参りをしました。
ちなみに寅次郎が学んだのはライバル校の慶応義塾大学です。

高木神社 北野天神社

[痛み平癒] 水稲荷神社 耳欠け神狐



社殿左に狐の石像があります。
立札によると「身体の痛い所と神狐と交互になでると痛みがやわらぐと言われています」と記載。

 [身体健全]  水稲荷神社 大国社 大国主命

 

社殿を出ると大国様の石像があります。立札には「元来産業の神様ですが、転じて身体健全・金銀融通の神様です」と記載。

帰りは早稲田大学19号館側の鳥居(正面入口)に向かうと、高田馬場の仇討や忠臣蔵で大活躍した堀部安兵衛の顕彰碑(写真下)がありました。

      

[虫封じ・諸病平癒]穴八幡神社 西早稲田2-1-11 
                 最寄駅 東西線 早稲田駅


康平5年(1062年)奥州の乱を鎮圧した源義家(八幡太郎)が凱旋の折、この地に兜と太刀を納め、氏神八幡宮を勧請し、永く東北鎮守の社として祀られました。
寛永18年(1641年)宮守の庵を造るため南側の山裾を切り開いた所、神穴が出現、穴八幡宮と唱えられるようになりました。
その後、三代将軍徳川家光の加護を受け江戸城北の総鎮守に造営されました。山門も朱色で立派で、山門の表(写真左)には武者、裏(写真右)には白馬が納まっています。


享保13年(1728年)八代将軍吉宗が世嗣の疱瘡平癒祈願のため奉納した流鏑馬を起源とし、以来、将軍家の厄払いや若君誕生祝いに、この地、高田馬場で流鏑馬が奉納されました。神社正面入口には流鏑馬像があります。
馬場下町交差点には元祖カツ丼・元祖カレーうどんの店「三朝庵」があります。(寅さん歩その8-4グルメ編1、2参照)

[虫封じ]放生寺 西早稲田2-1-14  最寄駅 東西線 早稲田駅


穴八幡神社脇を右折し、少し行くと、右手にある高野山真言宗のお寺です(写真右)寛永18年(1641年)穴八幡宮の別當寺として開創された徳川家由来の観音霊場です。
毎年一家の定められた恵方に貼り、資生招福、金銀融通を祈願する観音様の御札「一陽来復」は寅次郎の実家でも見ました。
(一陽来復のお札は元は同じ寺社だった穴八幡宮にも置いてあります)本堂の右脇の「放生会(ほうじょうえ)」の説明板には「殺生をいさめる宗教儀式であり、生けるものの命の貴さと慈悲の心を願うもので、生けるものに感謝し、禽獣魚介類の霊を供養する法会」と記載。

放生碑、馬頭観世音菩薩(馬は大食いで人の悩みも食べ尽してくれる)、稚魚のいる放生池がありました。
(毎年放流するとのこと)
[足・腰]放生寺 神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)



本堂の前にありました。
説明板によると「役の小角又は役の行者と申され、修験道の開祖と仰がれた方で法力の霊験不思議なこと古今を絶すると称されています。山野を駆け巡って修行されたことに因み、特に足腰の弱い人をお救いくださいます。草履のお守りや絵馬をお求めください」と記載。
左に下がっている草履は奉納されたもの。

[寄り道]皆中稲荷神社(かいちゅういなり じんじゃ) 百人町1-11
                       最寄駅 JR新大久保駅

健康のご利益には直接関係ありませんが、ありがたそうな稲荷なので立ち寄りました。新大久保駅を出て左折、大久保通りを大久保駅方面に行くとすぐ左側にありました(写真下左)絵馬は「開運的中」です。


住所は百人町で、この一帯に屋敷を与えられた「幕府鉄砲百人隊」は江戸城大手三之門の警備や将軍の寛永寺・増上寺・日光東照宮参詣の護衛をしていました。この稲荷は鉄砲組から信仰され、ある隊士が稲荷の霊夢により「百発百中」の腕前に上達したことが起源と言い、「みな当たる」と「勝負事の神様」となりました。賞金が高額になったジャンボ宝くじの当り祈願の人も多いそうです。
でも、「お参りした皆が当たることはないのだ」と呟きながら、「車や食べ物には当たらないように!」とお願いした寅次郎でした
   
隔年(平成は奇数年)の例大祭では神社に奉納した鉄砲組百人隊行列出陣式が再現され、古式にのっとった火縄銃の試射を行われるとのことです。

次回は文京区のご利益めぐりです。

平野 寅次郎 拝