ウォークメイト(ふじさわ歩友会) 藤沢市後援
わがまち ふじさわの景観130景をあるく
御所見の景観めぐり
7月26日(火)

天気:曇り  参加者:116名  距離:10km 
コース: 打越公園→メタセコイアの並木(遠藤景観1)→宇都母知神社と鐘楼(御所見景観7)
→打戻から見る富士山(御所見景観6)→宮原寒川神社(70景:寺社6:御所見)
→歴史を感じさせる植木の郷(御所見景観9)→カワセミの棲む目久尻川(御所見景観10)
→異空間を感じる御所見の森(御所見景観2)→参道と皇子大神(御所見景観3)
→くずはら里山広場(ゴール:解散)
メタセコイアの並木 宇都母知神社の御神木「椎の木」
宇都母知神社 打戻からの富士山(雲に隠れて見えず)
宮原寒川神社に向かう途中の赤い花 宮原寒川神社
植木の郷(宮原)
「認定名木の証」(イヌマキ)
戸中橋を渡り目久尻川の右岸へ 用田橋を渡る
目久尻川(用田橋上から望む) 御所見の森を行く
皇子大神入口  皇子大神への参道(杉木立) 
皇子大神大社   ゴールの葛原里山広場

写真提供:露木


今日は朝から曇天でいつ雨が降ってきてもおかしくない空模様であったが、慶応大学藤沢キャンバス近くの「打越公園」には120名近くのウォーカーが集合した。出発式に引き続き、完歩者の表彰と次回の案内、ストレッチ体操を済ませ、9時40分ごろ2班に分かれスタートした。公園を出てすぐ深緑のメタセコイアの並木道(遠藤景観1)をしばらく行き、宇都母知神社(景観7)に到着。この神社は過去何回か訪れているので解説は省略したい。次の景観は打戻からの富士山(6)であるが、あいにくの曇り空で富士山は見えなかった。この先、ビニールハウスや畑、道端に咲く花などを見ながら進み、次に訪れたのは御所見の70景の一つ宮原寒川神社である。ここは本日配布の資料によれば、宮原地区の鎮守、祭神は品陀別命(ほんだわけのみこと)、明治の頃までは近くの観蔵寺が所轄していたが、明治の末頃、打戻の宇都母知神社に合併の話があり、地元の反対で独立が維持されたと記述されている。ここで男子のみトイレ休憩をし、女子は先に進んだ。次に向かったのは植木の郷(9)、ここの長嶋園で女子のトイレ休憩と列詰めを行った。この地区は古くから多くの植木屋さんがおり、立派に剪定された生垣や植木が目を楽しませてくれた。特に長嶋園には日本植木協会から認定された(平成7年7月)という「認定名木の証」(イヌマキ)が堂々とそびえていた。
この先、目久尻川に出て、戸中橋を渡り、右岸をしばらく行き、東海道新幹線の下を通過、用田橋を渡り、再度東海道新幹線の下を通過、新用田辻の信号を横断、新しい県道22号線をしばらく進んだ。

ここで「目久尻川」の名前の由来について、ちょっと触れてみたい(余談)。いくつかの説があるようだ。
説1:この川は座間市栗原にあった寒川神社の御厨(みくりや)のあたりから流れてくるた
   めに、下流で「御厨尻川」と呼び、それが転じて「目久尻川」となったという。
説2:海老名の伝承によると、昔この川に河童が住み着いて悪さをしていたため、地元の
   人々はこの河童をとらえて目を穿り(くじり)取ってしまった、という出来事から「目穿
   川」と呼ばれるようになり、それが転じて「目久尻川」となったという。
説3:以前の目久尻川の流れには、U字形をした場所や直角になっている場所があって、
   大水のときは水の勢いが、出っ張っている川岸の土をえぐり取って流してしまった、
   目にあまるほど川岸を削り取るので、「目久尻川」の名がついたという説。

寄り道をしたので、先に進もう。22号線をさらに道なりに進み、用田地区から葛原地区に変る所から、左折して御所見の森(2)経由で皇子大神(3)へ向かう班と、左折せずに直接ゴールへ向かう班に分かれた。左折した班は静かで涼しい樹林帯を抜け、歴史ある皇子大神を参詣してゴールのくずはら里山広場に到着した。(御所見の森と皇子大神も過去に訪れているので解説は省略する。本日の資料参照)
雨にも降られず、あまり暑くもなく無事に本日の景観を観歩した。皆様お疲れ様でした。
 (露木照久)