ウォークメイト(ふじさわ歩友会) 藤沢市後援
藤沢とその周辺の景観70景
鵠沼・片瀬の景観めぐり
5月30日(火)

天気:  参加者:124名  距離:10q 
コース:  東奥田公園→奥田橋と大道橋間の桜並木(70景・その他ー8)→新林公園→諏訪神社上社・下社(70景・寺社ー1)→鵠沼鉄橋とせりだした松(70景・鵠沼ー2)→西浜公園(昼食)→境川沿い・聖ヨセフ協会(70景・片瀬ー1)→洲鼻通り(70景・その他ー3)→片瀬海岸東浜→トンボロの江の島(70景・片瀬ー3)→江の島北緑地(解散)

スタート前、東奥田公園で
景観70景。奥田橋と大道橋間の桜並木
新林公園で小休止
新林公園をあとに江ノ島へ向けて
江戸時代に作られた江の島への案内道標
景観70景・諏訪神社上社の参道下
景観70景・諏訪神社下社の社頭で 景観70景・江ノ電の鵠沼鉄橋
鵠沼の景観「遊歩道と松とボート」の地点
(ボートの姿がない)
西浜公園で昼食
西浜公園で参加回数表彰
景観70景・和風建築の聖ヨセフ片瀬教会
片瀬教会の礼拝堂の中で 五月の終わりころの空に鯉のぼり
洲鼻通りにも江の島への案内道標が 景観70景・洲鼻通り 
景観70景・片瀬海岸東浜から江の島へむけて
トンボロが出現 
トンボロを歩いて江の島へ 
トンボロから脚立を借りて江の島へ上陸  江の島からトンボロを振り返る 

写真提供:大牟田 宏

藤沢駅の南側へ展開するときの集合場所は奥田公園とするのが定番のようであるが、今回は知名度の薄い東奥田公園が集合場所とされた。いろいろな声が聞かれたが、今回は、最初の景観「奥田橋と大道橋間の桜並木」を案内するためのコースどりからの選択だった。その東奥田公園をスタートしたのが10時14分ころ。「桜並木」は青葉若葉の茂るトンネルとなっていた。途中、新林公園で小休止のあと、江の島方面に向けて、かつての江の島道を下る。程よい風があって、さほどの暑さはない。

道中、江戸時代に鍼灸師・杉山検校が建てた江の島弁財天への案内道標や懸崖造りの住宅などを見ながら、今日の景観「諏訪神社・上社」の参道前に出る。社殿は長い石段の上に鎮座しているので、石段の下からの遥拝で済ませ、ここから、江の島道を離れて、同じく探訪予定の景観「諏訪神社・下社」へ向かう。上社は建御名方命を、下社は妃神の八坂刀売命を祀り、上社、下社が揃って祀られている例は数少ないという。下社で給水。

江の島へ向かう国道を超えて境川へ。次の景観は境川に架かる江ノ電の「鵠沼鉄橋」である。鉄キチならずともカメラを構えたいところ。丁度、上り下りの電車が鉄橋を通過したので、もちろん、シャターを切る。続いて、境川沿いにボートが繋留され、松が彩りを添える鵠沼景観130景の「遊歩道と松とボート」の地点にさしかかったが、オリンピックの関係からかボートが一隻も見当たらず、景観を支えた要素が一つでもなくなると、景観のイメージがこうも変わるものかと思われた。川伝いに下ると、程なくして、西浜公園。今日はここで昼食。

恒例の参加回数の表彰を行った後、次の景観先「聖ヨセフ片瀬カトリック教会」へ向かう。そこは道路一つ隔てた隣にあった。礼拝堂に入り、神父さんから片瀬教会の生い立ちなどについての話を伺う。この教会は外観が瓦葺の和風建築で教会の建物としては珍しく、奈良と信州の上田に同じような例があるという説明があった。

教会を後に、再び江の島道に戻る。今日の景観「洲鼻通り」である。洲鼻とは片瀬川(境川)が運んできた砂が堆積してできた洲の先端ということから生まれた言葉のようである。今では江ノ電の江の島駅から江の島大橋までの商店街となっている。その中間あたりに最近工事現場で発見された江の島弁財天への案内道標が置かれていた。洲鼻通りを抜け、海岸通りの下をくぐり、片瀬海岸の東浜に出る。

今日の目玉は、最後の景観「トンボロの江の島」である。トンボロという言葉を広辞苑でひくと、「陸地とそれに近い島とをつなぐ砂州。潮岬、江の島などにある」と記されている。出発時に渡された出版物ではフランスのモン・サン・ミッシェルと対比されていた。大潮の日、潮の干満の差が一番大きくなる時刻、13時36分に江の島のトンボロが最も大きく出現するとの事前調査から、13時ちょっと前に東浜に到着し、すでに一部出現していたトンボロを江の島に向かって歩いた。対岸の江の島側には階段などの登り口がないので、スタッフが脚立を準備して江の島への上陸を手伝ってくれた。このような関係スタッフの配慮により、なかなか見るチャンスのない景観を目にすることができた。江の島に上陸した地点で解散となった。参加者が帰路についた後、スタッフだけの反省会が行われるのが恒例であるが、その時刻、13時20分ころ、トンボロは完全な姿を見せていた。予測計算どおりだった。
(大牟田 宏)