今日のウォーク「氷室椿庭園」は2020年2月に実施され、その後はコロナで実施できず3年ぶりの実施となった。辻堂駅北口の明治公民館裏手にある「土打公園」には早くから元気のよいウォーカーが大勢集まり賑やかな雰囲気のなか受付開始を待っていてくれた。
受付を開始すると自由歩行であるので元気なウォーカーが次々とスタートして行った。辻堂駅構内を通過し、南口の「桜花園通り」を進み、途中「ひょうきん山歯科医院」の看板の所を右へ進み、県道30号線にぶつかったら右折、暫く進むと歩道橋がありトイレを利用する人は上った先の「藤沢土木事務所汐見台庁舎」を利用できるように設定してあった。利用しない人は先に進み、信号「浜須賀」から国道134号線を利用して西に進んだ。
この先信号「菱沼海岸」を右折すると「開高健記念館・茅ヶ崎ゆかりの人物館」があるが有料のため、利用者のみが進んだ。利用しない人は国道134号線ではなく海岸線に出て進み、途中「烏帽子岩」や「ヘッドランド」「富士山の遠景」などを楽しみながら進んだ。
この先「茅ヶ崎駅入口」の看板の所を右折し、信号「茅ヶ崎駅南口入口」を駅方面に進み、スタッフの誘導により進むと右折した先に「氷室椿庭園」があった。
この庭園は三井不動産元副社長の氷室捷爾(しょうじ)さん・花子さんご夫妻のご遺族が茅ケ崎市に寄贈され、1991年開園された。庭園内にはたくさんの椿が植栽されており、赤・白・黄色などの花が咲いており大いに楽しんだ。黒椿の花はまだ咲いておらず残念ではあった。
庭園を出て「雄三通り」(以前は上原謙通り)を進み、途中茅ヶ崎出身のRyuAmbe(りゅうあんべ)の壁画などを楽しみながら見て進みゴールの茅ヶ崎駅に到着。ご苦労様でした。
【参考】
開高健は1930年(昭和5年)大阪市天王寺区で生まれ、市内の小・中学校を卒業し、
1949年(昭和24年)に大阪市立大学法文学部法学科に入学、文芸部に入部、活動
を開始する。大学卒業後も文芸活動を継続、また一時民間企業に就職はするが、195
8年(昭和33年)に退職、本格的に文芸活動に入る。海外においても活動し、その間
いくつもの賞を獲得。住居も杉並区に移住、また1974年(昭和49年)には茅ケ崎
市東海岸南に移り住んだ。その後も文芸活動を活発に展開し、出版物も多く賞も多数。
1989年(平成元年)12月に病気のためその生涯を終えた。
(露木照久)
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