寄り道・道草72
藤沢という地名由来の地

開運弁財天 語源の淵沢


 藤沢という地名の由来、藤のある沢、柳田国男の「地名の研究」によると、サワとは水のある谷のことである。藤沢地区で藤が繁った谷がある場所とすれば、大鋸の船久保神社の向かいの崖にある藤沢宿最古の稲荷といわれる「藤稲荷」付近に山藤が見られる。藤沢の名はここから起こったと思ったが、そうではないらしい。

 「藤沢の地名」(藤沢市刊行)によると、「昔、境川が蛇行して流れていたころ、あちこちに淵ができていたことから淵沢という名がつき、それが藤沢に転訛したという説が有力である」としている。しかし、その場所がどこなのか、未だ接していない。藤沢の地名が文献上初めて登場するのは、「太平記 鎌倉合戦事」、「結句五月十八日ノ卯刻ニ村岡・藤沢・片瀬・腰越・十間坂・五十余箇所ニ火を懸テ敵三方ヨリ寄懸タリシカバ武士東西ニ馳替、貴賤山野ニ逃迷フ」であるという。元弘3年(1333)、5月8日に新田義貞が挙兵し、相模に入るときの記録である。1333年以前に藤沢という名の集落があったことが分かる。

 先般、遊行寺宝物館館長による境内の案内があった。正中2年(1325)、遊行上人四世呑海が、俣野氏領地の高台に清浄光院を建て独住して藤沢上人一世と称し、山号を藤沢山(とうたくさん)とした。藤沢の地名となったという淵沢は館長によれば、遊行寺境内、宇賀神神社のすぐ後の崖から水が流れ落ち開運弁財天がある。そこがその淵沢、水のある淵だということだった。異論があれば期待したい。

出典:「藤沢市史四巻」「藤沢の地名」藤沢市刊行、「藤沢と遊行寺」藤沢市史ブックレット2、高野 修