寄り道・道草76
江ノ島西浦

 八柳 修之

青銅の鳥居から江ノ島エスカー乗り場横にあるCPまでの参道、YRウォーカーは何度通ったことであろうか。だが、道すがら西浦漁港へ立ち寄った人は少なかろう。西浦は漁港、江ノ島でだだ一つ砂浜がある所、小説「江ノ島西浦写真館」(三上延著、光文社)に出て来る写真館がある所である。一文を借用すると「仲見世通り、店と店の間にある路地を入ると、とたんに喧噪が遠ざかる。人がすれ違うのもやっとの道幅だ。(中略)しばらく進むと、降りていく石段の手前で視界が開けた。そこは人気(ひとけ)のない小さな入り江だ。さざめく波のはるか先、箱根の山々を越えた向こうに雪を頂いた富士山が浮かんでいた。あまり知られていないが、江ノ島から富士山がよく見える。海と箱根と富士山を同時に眺められる場所は滅多にない。桂木繭(主人公)の立っている右手に、間口の狭い二階建て、通りに面した壁だけがコンクリートで、それ以外は古びた木造だった。潮風で黒ずんだ木の看板がかかっていた。「江ノ島西浦写真館」、ここは百年間営業した写真館だ。繭の祖母、西浦富士子が最後の館主だった」。     

 
右:ハルミ食堂
 
江ノ島2丁目―1
 



店と店との間にある路地とはハルミ食堂と岩本楼の間にある。この路地を通る人は釣り人、それに「江ノ島西浦写真館」が実在するものと訪ねて来る三上延ファンだけだろう。
三上延は1971年生の藤沢の人、「ビブリア古書堂の事件手帖」でブレイクした。「江の島西浦写真館」は、祖母の写真館の遺品整理を依頼された主人公の繭(善行在住)が未渡しの写真に隠された過去の謎を解いていくストリー。若者向きの内容である。

西浦は小さな漁港となっているが、漁船は片瀬漁港が完成してから移ったようだ。小さな堤防で釣り人が投げ釣り、船揚場に5〜6隻のカヌー、小さな砂浜には若いカップル2組が海を眺めているだけだった。小説にあるように、夕暮れ時富士山を眺めるのは絶好なスポットであることは今も変りはない。

カヌー 5〜6隻 裏の建物は岩本楼
 
西浦漁港

西浦はかって、江戸時代、藤沢の年貢米など境川の片瀬湊(荒屋敷橋付近)から西浦へ廻船で運ばれ、西浦で親船(千石船)へ積み替えられ江戸などへ輸送されていた。また江戸からの荷は西浦で陸揚げされるか、艀や小舟を使って上流の片瀬湊まで運ばれていた。多くは浦廻船という100〜300石積の河川も航行できる五大力舟と呼ばれるものであった。
江ノ島には東浦という港もあったが、東京オリンピックの際、埋め立てられてしまった。
そして江ノ島にはかっては観光客相手のスタジオを持たない写真屋が沢山あったようだが、今は江ノ島頂上付近に片野写真館が一軒残るだけである。(2017・8・18 八柳修之)

参考引用:江ノ島西浦写真館 三上延著  光文社   藤沢市史 第6巻   藤沢市