寄り道・道草77
法照寺の江ノ島弁財天道標

 八柳 修之

YR大庭城址コースから少し逸れるが、東海道線沿いを辻堂方面へ向い日本精工と神明商事ビルとの間を皇大神宮方面へ、温室(シクラメンの栽培)を左折した所に小さなお寺、浄土宗法照寺(鵠沼神明二丁目2−24)がある。お墓の数からすると檀家を多くない。創建は享保年間(1716〜36)頃、一説には寛文元年(1661)に創建されたとある。入口の左側に江の島弁財天道標、続いて庚申塔が10基、弘法大師石像が二体あり相模国準四国八十八箇所四十八番札所でもある。
                 

道標は写真に見るとおり「一切衆生」とあるべきが「二切衆生」とある。二切という言葉はない。誰かがいたずらしたものと思われる。

 江の島みちでもないのに何故ここに江の島弁財天道標があるのだろうか。教育委員会が建てた案内板によると「この道標は、近所の方のお話によると、昭和22〜23年(1947〜48)頃、現在地に移設されたもので、少なくとも昭和初期にはここから北東約60メートル(今の鵠沼神明1−5)、鳥居に向かって右方向に見えるT字路の日本精工内」にあったということです。江の島への参詣道は、遊行寺前から片瀬・江の島に通じる江の島道が本道ですが、他にもルートの違う脇道があったと考えられています。建立当初の位置は明確ではありませんが、この道標もその脇道筋にあったようです」

 鵠沼の歴史に詳しい渡辺瞭氏(元湘南高校地理教諭)によると、「古い地図から考察すると、東海道から現在の湘南高校前を通り、東海道線一本松踏切に至る道があった。昭和4年に小田急線が敷設され、また昭和12年には日本精工の工場建設があり、これらの工事によって道標や庚申塔が法照寺境内に集められたものと考えられる。江の島道脇道は湘南高校前、日本精工工場角から先は明らかではないが、一本松を通ったことは確かである」と。

 市民活動推進センターの先、一本松踏切を渡り理髪店の前を左折し、小田急線踏切を渡ると橘の辻と呼ばれる三叉路に出る。橘二丁目13の電柱の下に正徳5年建立の庚申塔があり、「右ゑのしまみち」とある。杉山検校が江の島道弁財天道標を建てたのは元禄2年(1689)、正徳5年は1716年である。
くねくねした道を進むと橘郵便局のある辻に出る。ここまでは、江の島道脇道であったことは確かである。
そこから先は宅地化によって不明ではあるが、石上の渡しで藤沢宿からの江の島道と合流したであろう。

     
 橘の辻    橘郵便局

参考資料 : 「藤沢市文化財ハイキングコース」藤沢市教育委員会
        「鵠沼を巡る千一話」  鵠沼を語る会副会長 渡部 瞭