寄り道・道草78
境川を舟で下る風景

 八柳 修之

 齢80を前にして、歩みものろくなり通常例会には参加出来なくなった。これではいけないと思い、境川の川縁を奥田公園から江ノ電鵠沼鉄橋付近まで散歩することを日課としている。この道、車は通れず、散歩している人、ジョギングをしている人だけだ。毎日のように歩いていると川面から両岸を見たらどんな風景かと思うようになった。江戸時代、上山本橋の辺りに渡船場があり、江ノ島に向う人を運んだという記録がある。それを復活したらどうかという提案です。実現に至るまでには色々な問題があるでしょうが、2020年の東京オリンピックまでに実現し藤沢の活性化になればと思います。
 
 そんな折、会報に佐江衆一著「散歩名人in藤沢」が紹介された。佐江さんは1934年生、57年間片瀬に住み、新田次郎賞を受賞したほどの文人である。著の中で境川を歩く風景の一文に、「時折、若い男女がカヌーの立ち漕ぎで奥田橋まで上ってくる姿は微笑ましい。上り下りの舟人がいてこそ、人が住む街を流れる川ではあるまいか。2020年の東京オリンピックの江の島沖ヨットレースには、奥田橋あたりから河口か江の島ヨットハーバーまで往復する屋形船でも運行するNGOができたらいいと思うが、いかがであろうか。川面から両岸や橋を眺めるようになれば、川岸の景色も橋のデザインもおのずと変わる」、と述べておられ、我が意を強くした次第です。

 佐江さんの提案では出発点は奥田橋ですが、藤沢宿活性化のため藤沢宿交流館で受付し遊行寺(赤橋)付近から乗船、冬季を除き毎週、土日のいずれか運行。終点はヨットハーバー。関係者によると、河川法が障害になるそうですが、実現してほしいものです。
                      
    
  
左:遊行寺橋(赤橋) 右:舟玉神社裏から源実朝が栄に渡る船の用材を切り出したと伝えられる。境川に合流する滝ノ川 (藤沢橋から撮影)

     

左:大正橋、蔵前という河岸があり江戸時代年貢米を納入する蔵があった。突き当り榎本商店蔵  右:御所ヶ谷橋付近、カワウとサギが中洲で羽休めしている。

     

 左:東海道線鉄橋 徒歩では地下道がないため、大回りする必要がある。
 右:新川名橋、柏尾川との合流、昔、大船(粟船)まで荷物を運んでいた。時折サギが見られる。

     

左:大道橋~奥田橋間右岸の桜並木は見事、  右:新川名橋 鯉やボラの遡上が見られる。

     

左:新川名橋〜奥田橋 ゆりかもめの飛来   右:片瀬丘陵・駒立山遠景

     

左:石上渡船場があった上山本橋付近、   右:新屋敷橋付近、カワウが羽休めする水道管、

   

左:頼朝の逸話のある馬喰橋、この辺りに片瀬湊があり江ノ島西浦への荷積替え、運上所があった。 右:「相中留恩記略」(そうちゅうりゅうおんりゃっき、天保10年(1829年)に見る片瀬湊

     

 左:境川橋 467号線 後ろ駒立山       右:藤ヶ谷公園(元三越保養所)付近

     

 左:鵠沼鉄橋 現在、舟は係留禁止       右:下藤が谷公園の河津桜

     

 左:辻堂や明治方面に物資を荷役した紋十郎河岸跡付近
 右:ポンプ場から見る左岸は西方公園         

     

 左:西浜公園(山本公園)の松林         右: 山本橋(鵠沼の開発者山本庄太郎)

     

左:カトリック片瀬教会〜右岸弁天橋までの桜並木  右:河口、漁船の係留、仏舎利塔遠景

     

 左:弁天橋                     右:片瀬橋から河口、江ノ島を望む  

     

 左:湘南港ヨットハーバー            右:1964年東京五輪聖火台