寄り道・道草79
藤沢宿をあるく 桔梗屋

 八柳 修之

 藤沢宿の活性化が叫ばれ、色々なイベントが開催されているが街道筋には見るべき建物は少ない。そんな中、藤沢橋から西へ向かって200mほど歩くと、黒い蔵風の家が目に入る。「桔梗屋」洋紙店の店蔵で平成25年12月に国の有形文化財として登録された。 店蔵(見世蔵とも)とは、江戸時代後期以降に発展した商家建築の様式で商品の保管・貯蔵を目的とした土蔵とは違い、店舗兼住宅として使えるよう建てられたもので、間取りや内装が異なる。典型的な店蔵は、近くは川越で多く見られる。

 藤沢宿は明治13年11月(1880)「大川火事」、18年に「中長火事」と呼ばれるという大火事があったが、明治の初期に建てられた川上広文堂の店蔵が火災の被害を免れたことから、明治中期以降店蔵が建てられるようになった。しかし、大正12年の関東大震災で町屋の8割が倒壊した。これが教訓となり屋根を瓦からトタンや鋼板などにするようになった。 平成7年(1995)に明治時代の豪商であった豊元商店や川上広文堂の店蔵が取り壊されてしまい、店蔵は残念ながら僅かに桔梗屋店のみとなってしまった。 桔梗屋はお茶や紙の問屋を営んでいた旧家、現在、本店は横浜に移ったが、桔梗屋洋紙(株)藤沢店として営業し、社長の斉藤良雄氏は七代目である。

 店蔵は明治44年に建築されたもので、土蔵造り、外壁は黒漆喰塗仕上げである。内部は公開時のみ見学できるが、店蔵の北側と主屋との1階の境には千人扉と呼ぶ重厚な観音開きの土戸は当時の優秀な左官技術が窺えるものであり、また店蔵の隣の白い文庫蔵は旧藤沢宿における近世に遡る希少な遺例であるとされている。また店蔵の横から見られる鰻の寝床のような主屋造りは間口で税金を徴収した宿場町に見られる町屋づくりである。
出典:「藤沢市の民家」 市教育委員会 「藤沢宿瓦版1号」、「藤沢わがまのあゆみ」 児玉幸多