寄り道・道草84
トンボロ(陸繋砂州)の江ノ島

 八柳 修之

 江ノ島は地理学上、陸繋島と呼ばれる。海岸近くに島があると、島の本土側で沖合からの波が島を回り込んで衝突仕合って弱まり、沿岸流や周辺の川から運ばれて来た砂が堆積し、やがて島を結ぶ陸繋砂州(トンボロ)が成長し陸地と陸続きとなる。北海道の函館山は砂州が出来てすでに陸地化している。江ノ島は片瀬川‘(境川下流)から運ばれて来る砂の量により完全に陸続きとはなっていない。

 
 左図に掲げる江ノ島の浮世絵のように砂州の道を歩いて渡れるのは干潮時だけで、潮が満ちると渡し舟で渡るか人足に背を背負われて渡るしかなかった。江ノ島への橋が架かったのは明治24年(1891)、木造であったからしば
しば台風などにより壊された。現在の弁天橋(389m)が架かったのは昭和34年(1959)になってからのことであった。

 江ノ島は東洋のモンサンミッシェルと宣伝している。モンサンミッシェルには2004年4月に旅行した時の写真、メモがある。まず、どちらも信仰の島であるということだ。日本国内にはいくつかトンボロができる島があるが、島に信仰となる神社があるのは少ない。江ノ島には古くから弁財天信仰があり、多くの庶民が参詣していた。

 モンサンミシェルの島の頂上には修道院があり708年建設された大天使を奉る聖堂があり一般公開され、日本語のパンフレットも用意されていた。モンサンミシェルの島の規模は周囲900m。一方、江ノ島は4000mもあり面積にして江ノ島のほうが10倍も大きい。しかし、大きな違いは島をめぐる干満の差である。江ノ島の場合、大潮の場合最大1.5m位だが、モンサンミシェルのそれは15mを超すとされる。また地形上、モンサンミシェルはフランス西岸にありヨーロッパでも屈指の干満の差が激しいサンマロ湾の南に位置し、潮の干満差はなんと10〜15mを超すとされ、古来、多くの犠牲者が出た。2009年には環境問題から地続きの道路が取り壊され、2014年には新たな橋が完成した。しかし、翌年3月,日食に際、開通されたばかりの連絡橋は海面に没し、孤島となったことがあったという。 

2004年、島までバスが通っていた
 
サンマロの海岸エメラルドグリーン

真ん中の写真は参道。江ノ島と同様、道幅は狭くごった返していた。名物はオムレツ。食事した人の話では、特にど〜てことがなく、店員も無愛想だったという。

参考:2024年,江ノ島にトンボロが現れ,島まで歩いて行ける日は藤沢市観光協会のホームページで見て下さい。
(参考)2015年7月1日付 江ノ電沿線新聞 モンサンミシェル修道院案内書 藤沢市観光協会HP