八柳修之 |
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イヤーラウンド藤沢宿コース、赤い欄干の遊行寺橋を渡り遊行寺へ向かうと総門(黒門)の手前右側に金網で囲まれたなんの変哲もない空き地がある。しかし大鋸広小路会が立てた案内板が立っていて、ここが「日本三大広小路」と書かれている。遊行寺の総門も「日本三大黒門」と称しているから、昔から「日本三大なんとか」が好きらしい。三大のうち二大までは思いつくが、あとの一つはご当地のものを入れている。ちなみに日本三大広小路とは、上野広小路、名古屋広小路、藤沢広小路なのだそうだ。 案内板によると「広小路は類焼を防ぐとともに被災者の避難所にあてた。火消の発達ともに廃止された広小路があった。藤沢の広小路の名は江戸時代の文書にもたびたび出て来るが、おおよそ現在の大鋸「小字大鋸」の範囲を広小路としている。藤沢広小路は大鋸広小路とも言われていた」。広小路と呼んでいるが、もともと桝形といい、城郭の出入口につくられる防御施設で、桝の形の空き地に敵をためて四方から狙い撃ちにしやすい構造のことであった。 藤沢宿は一宿場であるが、万一、江戸城に押し寄せる敵への軍事拠点として要請されたのだろう。かつての東海道は江戸方から遊行寺坂を下り、現在のイイジマ商店を右折し、遊行寺橋を渡った。大山詣、江ノ島詣の人々が遊行寺橋を渡っている広重の浮世絵に描かれているようにそこには旅籠があった。現在の藤沢橋は大正12年の関東大震災後に架設され、道路も鵠沼方面に延長されたものである。桝形の広場にはやがて、神奈川県農工銀行藤沢支店(日本勧業銀行の前身)、のち労働基準監督局があったが、現在は空き地で市有地となっている。 この空き地に藤沢宿交流館(仮称)の建築計画があり、2015年度建設に向けて検討作業が進められている。近年、東海道を歩くウォーカーが増えていることから、FWAはウォーカーが気軽に利用できる宿場町にふさわしい内容と機能を備えた施設とすることを市に要望している。 出典:大鋸広小路会案内板 藤沢市史 第六巻 「国史大辞典」(吉川弘文館)
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