若尾幾造と若尾山

八柳修之
 藤沢市朝日町にある市役所本館の467号線斜面の桜は、「ふじさわの景観130景」藤沢地区の景観10選に選定されている。現在、本館は解体工事中で新庁舎は平成29年初夏に供用開始が予定されている。本館は昭和26年に建築されたものであるが
若尾製糸場 
、それ以前、この高台は鵠沼村石上に属し、通称若尾山と呼ばれていた。生糸の商売で財をなした若尾幾造の若尾製糸場、若尾銀行、2万坪(6.7ha)にも及ぶ若尾の庭園、対嶽荘があったからである。若尾の敷地は現在の裁判所、検察庁のある所、市役所裏の駐車場辺りまで及んでいたようだ。

 若尾幾造は山梨の人で横浜の生糸貿易商であった。明治26年、若尾商店の製糸金融部門を独立させ若尾銀行を設立、藤沢のやがて若尾山と呼ばれる地区に支店を開設した。さらに明治28年、若尾山に200人繰(注)の大規模な製糸場を設立し高座、鎌倉郡の製糸業の発展の核となった。

 若尾銀行は製糸家を対象とする金融を目的としたが、とりわけ、鎌倉郡中和田村の製糸家、持田角左衛門と密接な結びつきがあった。持田は若尾の協力を得て同業者を糾合し盛進社を設立し、事務所を藤沢に設けて若尾銀行との連絡の便宜をはかった。同社の事業は明治30年頃、最盛期をむかえ、社員に加わった製糸家40名、女工約1500名を数えた。

 二代目若尾幾造は、持田の功績を称え若尾山の別邸に角左衛門の銅像を建てた。大藤澤復興市街図を見ると持田氏像という表示がある。銅像は戦時中、軍の命令により供出された。台座は残っていたが、昭和26年藤沢市役所庁舎建設の際、取り壊されたという。現在、若尾の名は若尾山公園として残っているだけである。この公園が七福神めぐりの集合場所として使用されていた事を知るウォーカーも少なくなったことであろう。

(注)自動織機以前の製法。釜で煮た繭を手回しの小枠に巻き取る方法。
   釜数200の規模と言ってもよい。

出典:泉区HP、
   「藤沢わがまちの歩み」児玉幸多 藤沢市文書館、
   「藤沢市市制50周年記念写真集」藤沢市、
   「ニュースは語る 20世紀の藤沢」 藤沢市