藤沢でつくられたモルトウイスキー

八柳修之
 NHK連続朝ドラ「マッサン」はニッカウイスキーの創始者竹鶴政孝とスコットランド人妻リタの国産のウイスキー製造に取り組む姿が描かれ好評である。TVで見られるとおり、日本で初めて本格的なウイスキーづくりに乗り出したのは、寿屋(サントリー)の鳥井信治郎で、1929年(昭和4)に国産ウイスキー第1号「サントリー白ラベル」を発売した。第2号は寿屋から独立した竹鶴のニッカと思いきや、2番目は1937年、藤沢で製造された東京醸造(株)の「トミー・モルトウイスキー」であった。

 東京醸造は男爵武井守正らによって 1924年(大正13)に設立された会社である。武井は姫路藩士の出身で、維新後、官界に入り各県の知事等を歴任した後、実業界へ転身、明治製糖創立者の一人で多方面に活動した。武井は会社設立後2年、85歳で亡くなり、息子が後を継いだが、経営はのち社長となった中村豊雄が取り仕切った。

昭和初期の東京醸造
昭和初期の東京醸造
中村は藤沢の人で早稲田の政経の出身ながら醸造技術を研鑽し、台湾の酒精会社などに勤めた経験から 醸造技術に通じていた。工場は現在の南藤沢、敷地800坪、建物227坪、従業員は1936年、職員6名・工員19名にすぎなかった。当初、同社はイミテーションウイスキー(原酒に混ぜ物をした模造)や甘味果実酒、ブランデー、リキュールなどを製造していたが、中村はモルト原酒を造ることを思い立ち、幾多の試験を重ねた後、 ついに 1937年(昭和12)に本格的なモルトウイスキーを完成、自らの名をとって「トミーウイスキー」を明治屋から発売した。竹鶴に先立つこと3年前であった。戦後、朝鮮特需をきっかけにウイスキーブームが起こり一時繁盛し、従業員は1951年には64名を数えた。しかし、同業他社との競争激化により経営状態が悪化し、1955年倒産、その後、工場は寿屋、森永醸造の手に渡ったが60年代後半に閉鎖された。

 工場跡地は現在、OKストアになっている。中村豊雄が初代藤沢市商工会議所会頭に就任したことは、あまり知られていない。「洋酒のアウトライン」という著書があるが、藤沢市総合図書館にはなかった。


出典:藤沢市史 第6巻 藤沢市
サントリーHP  「藤沢市制50周年記念写真集」