随筆
二川 一 |
退職してフリーの身となり、これからどうするか。特段の趣味も無く、若いころから赤ちょうちんで安酒をくらうのが常態であったわが身とすれば、『小人閑居して不善をなす』ではないが昼日中から一杯となりかねない。 そこで、既にウォーキング協会に入っていた妻とともに歩くことにした。我が足で歩くだけなら元手がかからない。かようなことから皆さんの仲間に入れてもらった。そのうち、「いぶすきに行かないか。」との誘いを受け、温泉を主目的で歩きを従という気持から二人で参加したのをきっかけとして、歩くだけなら安上がりとのことはすっかり忘れ、あちこちの大会に参加するようになり、いつしか、47都道府県を巡るオールジャパンに挑戦し始め、併せて“北海道”だ“九州”だのの地区マーチングや“温泉”だ“セブンハーバー”だののリーグを追いかけるようになったのである。すなわち「チホウ症」の発症である。 一巡目のスタートから約6年かかったが、昨年11月の下関での大会でオールジャパン二巡目を達成することができた。この間、たくさんの方々のお世話になった。感謝申し上げたい。それと二人が健康であったからと思っている。妻と「二巡する。」との目標を立てたからそのための行動も定まったし、それをクリアしたからこそ自分らなりの達成感につながったと思っている。しかしながら、下関から空港に向かう車中で「横浜からワザワザ歩きに来たのですか。ヘェ-ッ。」と土地の人から言われ、一般の方には“物好きな。”と思われたにすぎない。やはり自己満足の世界であったかと思わざるを得なかった。 かようにして各地に出向いたが、東日本大震災直後の徳島の大会では、歩くより乾電池探しに夢中であったことなど、それぞれの大会での想い出がある。その土地所々での歴史と文化に触れ、その地の方にお世話になり、互いに交わした言葉などすべてが糧となったように思えるし、全国各地に知己を得た。“チホウ症万歳”である。いまは「チホウ症」が寛解しつつあるが、これからは真正の痴ほう症いや認知症が待ち受けているかもしれない。それを避けるためにはやはり『歩く』ことが良いらしい。 これからもしっかりと歩き続け、後期高齢者ではなく、“光輝”高齢者と言われるようになりたい。と願っているが無理であろうか。 |