八柳修之 |
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藤沢は東海道の宿場町、遊興の地として発展してきたが、やがて転機が訪れた。明治5年10月、新橋~横浜間に最初の鉄道が開設されてから、15年後の明治20年7月11日、藤沢停車場が誕生した。政府は停車場の位置を旧東海道に沿った宿場ごとに開設する方針であった。この方針に沿って、藤沢停車場の位置は、現在の戸塚駅から直線で遊行寺下をトンネルで抜け、白旗神社付近に設置する予定であった。ところが、宿場町として発展してきた藤沢は、その位置をめぐって賛否両論が対立した。結局、汽車の利便性を認めながらも宿場がさびれるのを恐れる旧勢力が押し切って、煤煙による火災の危険などを理由に反対の陳情を行った。その結果、正月山と呼ばれていた桃畑と松林の土地に停車場が開設された。 また横須賀線は明治22年6月に開通しているが、最初藤沢駅から分岐する予定であった。これも地元の反対で、大船信号所を大船駅に格上げして接続させたという。江ノ電藤沢駅は明治35年9月1日に現在の藤沢駅の南口の駅前広場辺りに建てられ、江之島電気鉄道が藤沢~片瀬間に営業を開始、明治43年10月30日には藤沢~鎌倉・小町間が開通した。なお、現在、藤沢~鎌倉間に駅は15あるが、開業当時は40駅(停車場)もあった。歴史にIFはないが、もし白旗神社付近(御殿辺公園あたりか)に駅が出来ていたとすれば、現在の藤沢のまちの姿はどう変わっていたであろうか。また横須賀線が藤沢から分岐していたとすれば、藤沢の町は名実ともに湘南の中心地となっていたことであろう。現在、藤沢駅の一日当たりの乗降客はJR106千人、小田急78千人、江ノ電21千人となっている。 出典:「藤沢市史 第三巻」藤沢市 藤沢わがまちのあゆみ 児玉幸多編 藤沢文書館 JR・小田急・江ノ電HP |