(県外会員便り)

    わが街雑談


飯塚弘夫
(静岡県伊豆市在住)
私の住む町「修善寺」の歴史は、平安初期に空海(弘法大師)がこの地を訪れ、独鈷(とっこ)の湯を発見し、「修禅寺」を開基したことに始まります。かって、この地は修禅寺の寺領だったころから地名も修禅寺と呼んでいましたが、室町時代頃から寺名を修禅寺、地名を修善寺と区別しはじめているようです。しかし、江戸時代まで地名としての修禅寺も場所によっては使われていたようです。

 修禅寺の正式名は「福地山修禅萬安禅寺」でフクチサンシュゼンバンナンゼンジと発音し、シュウゼンジと発音するのは誤りです。寺名も地名もシュゼンジと同じに発音します。修善寺温泉の歴史は修禅寺の興亡と大きく係ってきました。空海は18歳の時に桂谷山寺(現在の奥の院)を訪れ、ここの窟で修行をしたと言われています。(一説には唐に渡るための資金となる金を求めて立ち寄ったとの説もあるようです)。その後遣唐使として唐に渡り、密教の奥義を究めて帰国した空海は再びこの地を訪れ(807年)独鈷の湯を開湯し、修禅寺を開基したと伝えられています。この時代には寺運も大いに振るい天下屈指の禅院として名を馳せ、寺を中心に集落が整えられていったようです。

 修禅寺の宗派は弘法大師開基の「真言宗」から蘭渓道隆が「臨済宗」、そして北条早雲により「曹洞宗」に移り変わっていますが、昔は寺に宗旨があるのではなく、人に宗旨があったため簡単に宗旨が変わったことによるものです。これは、貴族が権勢を振るった平安時代から、武家が政治の実権を握った鎌倉時代へと時代が変わり、仏教も新しい禅宗を信仰する人々が増えたこととも関係があるようです。