八柳修之 |
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8月18日(金)朝日に本年2月、カワウソの生息が対馬で確認されたという記事があった。 DNA解析のところ、ユーラシア大陸に広く生息するユーラシアカワウソで、1975年高知県須崎で最後のニホンカワウソの生息が確認されたのを最後に絶滅危惧種となったニホンカワウソであるかは、まだ分からないという。それにしても暗いニュースが多いなかでグッドニュースである。 獺は淡水棲と思っていたが、韓国から対馬までの間は約50km、通常6km程度とされる行動範囲からすれば驚くべき行動範囲である。オソという地名は、川の浅瀬、細流を表す地名で、全国的にあるというからカワウソはかって全国的に分布していた。カワウソは江戸時代以降、良質な毛皮目当てに乱獲され、また川の汚染によって急激に減少したといわれる。 藤沢にも獺という名が付く獺郷(おそごう)が御所見地区にある。獺郷の地名の由来について、「皇国地誌」に「各所に沼地あり、獺の棲める所多く村名の因って起こる所となった」とあるそうだ。現在沼地はないが水田や畑地が多い地域である。獺郷地区と打戻地区の境は彼岸花で有名な小出川、そして大向という所から小出川に合流する打川という幅4~5m余りの用水路がある。打川と小出川合流点付近の打川西は宮原(みやばら)地区、目久尻川が海老名との市境となっている。かっては目久尻川の氾濫原で小出川との間は沼地で獺が棲む環境にあったと想像される。目久尻川という川の名の由来は、「昔、この川に河童が棲みつき悪さをしたため、河童を捕えて目をくじり取ってしまったと言われ、目くじり川と呼ぶようになり、それが転じて目久尻川になったという」(海老名市HP)。河童は獺のことだともされている。また宮原(みやばら)の矢田は目久尻川沿いの田をさす小字で、タダでもらってもヤダというのでこの地名がついたと言われるが、ここの田は毎年水をかぶり、胸までつかるような湿田、ドブ田であったという。 現在、獺郷の中心地は獺郷バス停、公民館、子聖神社(ねのひじり)辺りである。子聖神社は獺郷字雷(いかづち、バス停獺郷の南東約350m)にあり獺郷地区の鎮守である。もともと獺郷中谷にあったが、明治元年に大暴風雨のため社殿が倒壊し現在の地に移ったという。もとの社殿は創立以来数百年経ったと言われているが、創立が分かれば人が住んでした時代が分かるのだが。獺が棲んいたことがあろうとなかろうと昔からの地名はロマンを残してくれる。
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出典:8月18日付 朝日新聞 海老名市ホームページ 動物観察事典 岡村はた他 地人書館 「藤沢の地名」日本地名研究所編 名著出版 |