海外紀行
中村 弘道 |
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'18/11/30〜12/11に『エベレスト街道トレッキング』を体験しました。ネパール東部とチベットとの国境に聳える世界最高峰エベレストに通じるルートで展望地を訪れながら名峰を眺める山旅。自らの脚でヒマラヤに接近する!新しい体験に夢は膨らみ、唯一不安の高山病(ピーク高度4,300m)には医師の処方薬を用意して出発となった。 初日S旅行社ツアー13名(男7女6)は成田〜ソウル経由〜カトマンズへ空路10時間半。市内ホテルに落着くが遅い就寝となる。(時差は−3時間15分) 翌早朝から国内線小型機でエベレスト街道の起点となるルクラ空港(標高2,840m)へ。空港はヒマラヤ山脈の谷間に位置し傾斜した滑走路は460mと短く、天候の急変も多い為“世界一危険な空港”の異名を持っている。まず当日欠航にならないことを祈っていたが、乾季に訪れたこともあり天候も安定していたので無事着陸!に一安心でした。
スタッフはガイドリーダー(シェルパ)、コック、ゾッキョ(3頭)使い、ポーター(option)の編成で10人程。我々トレッカーは日帰り登山の装備でよいので歩きに専念できる。街道は山村の人達の生活道でもある。歩き始めて驚いた光景が荷運び牛の存在。ゾッキョと呼ばれヤクと牛との雑種で小形かつ高地にも適している。街道にはいたる処に糞が落ちていて、踏んではなるまいと“足元注意”の歩行が始まった。心して!糞は乾燥させて燃料にしたり、石積みのセメントにも代用される大事な資源でもあるのだ。 初日は足慣らし!の下りでパクディン(2,650m)へ。 3日目はサガルマータ国立公園検問所を通過して街道最大の村ナムチェバザール(3,450m)へ向かう。ネパールの国教はヒンズー教だが、エベレスト街道は中国チベットとつながっており仏教民族が住む地域でもある。街道では数多くマニ石と呼ばれる大きな岩石に経文が刻まれたものやストゥーパ(仏塔)、マニ車(仏具の転経器)を廻す人々を目にする。山村と山の風景を楽しみながらのトレッキングも ヤクやゾッキョの隊列が通る度に路面から舞う土埃に悩まされる。ここでは塵埃除けにマスクが必需品。 翌朝ホテルから朝陽に輝く6,000m級名峰の眺めに圧倒される。この日はシェルパ族の里クムジュン(3,790m)へ向かう。途中シャンボチェの丘にあるホテル・エベレスト・ビューからは待望のエベレスト、ローツェはじめヒマラヤを代表する高峰の大パノラマが広がる。
1968年に日本人(宮原 巍氏)の手により創建された当ホテルはネパール観光立国の先駆けともなった。クムジュンはシェルパ族が生活する山村で、宿主は遠征隊としてエベレスト(8,848m)に3度登頂の経験者。午後からツアー最高標高のクンデピーク(4,230m)に8名が登頂した。高度順化も兼ねていたが最高齢80歳の同行女性には敬服! 眺望は抜群だが西方は雲に蔽われ眼前のコンデリ山塊は望めなかった。 5日目はトレッキングの折り返し地点タンボチェリ(3,860m)に向かう。600mも下降しプンキ・テンガの小集落を経ると再び600mの急坂を登って到着だ。一息ついてからビューポイントへ、エベレスト・ローツェ・ヌプツェ・アマダブラム・タムセルクと名だたる名峰を一望し、街道最大のゴンパ(チベット仏教僧院)では法要も見学しながら旅の安全を祈る。
翌朝はチベット経文が書かれたタルチョが頭上に舞う中を修行僧がよく通う急勾配の尾根タンボジェ・リ(4,198m)に登頂し360°の大展望を満喫した。これで目標とした4,000mのヒマラヤ展望ピークの2座登頂が実現。復路ではゆっくり『世界一美しいトラバース』と称される山腹道からエベレスト〜アマダブラムの眺望を見納め、シェルパ・ミュージアムを見学の後、予定の8日目ルクラに戻った。 |