東家の離れ

八柳 修之
私が知る藤沢の茅ぶき屋根の家は二軒。新林公園内に移築された小池邸、そしてもう一軒は鵠沼海岸にある旅館東屋の離れ「ちん亭」である。この東屋の離れが7月末売りに出されていることを新聞折り込みチラシで知った。チラシによると土地面積121坪、木造2階建延べ面積47.6坪、建築年月不詳(建築後71年以上)、13,000万円とあった。
以前、例会で何度か通った所であるが閑人は出かけてみた。

関心がある人のために行先を記すと、小田急鵠沼海岸駅で下車し商店街を海側に向かって歩くと左側に酒屋さんがあり旅館東屋跡への行先表示がある。角を右に曲り進むと「東屋の跡の碑」(佐江衆一氏揮毫)と教育委員会が2001年3月に立てた案内板がある。駅から6分の距離である。

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「東屋は明治5年頃、伊東将行、長谷川ゑいによって創業された。関東大震災にあうも再建され、戦時色の強まる昭和14年に半世紀にわたる歴史を閉じた。記念碑の右側を正門として、海岸まで拡がる約2万平方米の広々とした敷地に松林と池を配し、本館および離れが点在していた。尾崎紅葉の硯友社の文人をはじめ、・・・志賀直哉、武者小路実篤らによる白樺派の揺籃の地・・・芥川龍之介の短編小説「蜃気楼」は、当時の鵠沼海岸の風景を幻想的に描いている」。

案内板には東屋に逗留した文士の名前が記載されているが、もはや文学史の世界である。案内板の先、住宅が立ち並ぶ中、東屋の「ちん亭」があった。チラシには築71年以上とあったが、よく手入れされているようであった。所有者は建物の維持管理、相続等の事情により手放すことになったと思われ、かつ登録文化財等にも指定されていないので売却に至ったものと思われる。東屋に逗留した文士ゆかりの地のよすがとして残念な気はする。

芥川龍之介の自殺直前、最後の作品となった「蜃気楼」をネットで読んだ。蜃気楼が出たというので東京から来た大学生と観に海岸まで出かけたという話であるが、もはや蜃気楼を観ることもできない。(参考文献:「湘南の誕生」藤沢市教育委員会〉