藤沢宿をあるく(4) |
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本町郵便局舎は4年以来、仲久保の堀内宅前にあった。その後、郵便局長には、寺田三郎兵衛、川上久兵衛、川上安次郎、堀内忠道、大正5年の広瀬藤右衛門まで地元の名士10名が見られる。大正12(1923)の関東大震災後、局舎は東坂戸町の東側、平野藤左衛門(12代当主)が敷地を提供して再建された。大正14年からは藤左衛門が局長を勤め、その後、息子の平野廉蔵(13代)が継いだ。平野(屋号牧野)家は問屋場の取締を務めた名士でもある。平野牧野屋は、銘酒「独り占」の醸造元、坂戸七ヵ町の元老として幕末ごろまで問屋場の町役人を勤め、商売も繁昌した。以下、平野武宏氏(元湘南ふじさわウオーキング協会会長)が、兄平野輝重氏(14代)から聞いた話です。「写真は当時の立て直した建物、2階には電話局もあった。藤沢郵便局長だった藤左衛門は昭和3年に死去、第13代の平野廉蔵(父)は東京商大の学生でしたが、藤沢郵便局長と牧野屋本店を引継、卒業後も続けた。 昭和12年に藤沢郵便局が二等局に昇格、国の直轄となり局長を辞し逓信省に就職した。藤沢市役所(前藤沢公民館)から抜ける都市計画道路第一号にかかるため、牧野屋本店は取り壊され終戦となった。郵便局はそのまま残ったが、本町に集中していた市役所、警察、消防などが藤沢駅近くに移転して、郵便局の建物は平野家に戻された。台町と藤沢駅の間に郵便局が欲しいとの要請を受け、平野家は現在の本町郵便局の土地を売却した」とのことである。 参考文献:「移り変わる藤沢の街〉山本悦三、三信印刷。 「藤沢市史」別編2藤沢市 「藤沢郷土史」加藤徳右衛門、図書刊行会 「わがまちの歩み」児玉幸多 藤沢文書館、藤沢郵便局HP
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