藤沢宿をあるく(5)
蔵 前 辺 り

 八柳 修之

藤沢駅から遊行通りを進み467号線と交差する所に江ノ島道道標がある。467号線に出ずに江ノ島道を進むと左側に白い土蔵がある。蔵前ギャラリー、昭和6年(1931)に建てられた旧榎本米
店を活用した小さなギャラリーである。現在住所は藤沢630−1だが、昔はこの辺りは蔵前と呼ばれ、その名のとおり江戸時代、年貢米を納入する蔵があった所で、古くは凶作に備えて米などの穀類を蓄えた郷蔵があったことによる地名である。ここから境川を使って物資の輸送も行われていた。件の旧榎本米店、真中が商家、右の黒い蔵が内蔵、白い外蔵が米などを貯蔵していた。かつての当主榎本市右衛門は山市(やまいち)の商号で、藤沢の米穀業界ではよく知られていたという。土間の片隅は一段と高くなっていて6畳位の畳敷きの小上がりがあり、立派な神棚、中央奥には作り付けの金庫があり、ここで商いをしていた。

 ギャラリー前から境川に架かる大正橋との小路の左側に「鼻黒稲荷大明神」がある。お隣はセ
ブンイレブン。藤沢橋手前にある金砂山観音堂の境内にも鼻黒稲荷大明神がある。なぜ、鼻黒なのか。ネットで調べて見たが、全国的にはここしかヒットしない。博覧強記のスタッフの吉田厚治さんから、「梅毒が流行ったからです」と教えていただいた。ネットで調べると梅毒に罹ると鼻が欠けたりする症状がみられるとあった。だが、何故、鼻黒稲荷が藤沢にだけあるのかは分からない。余談だが、梅毒は1492年、コロンブスが新大陸からもたらしたとする説が有力である。この小さな鼻黒稲荷大明神社はこれでも相模國準四国八十八箇所60番札所で正式名称は日照山金剛院(廃寺)である。

 その隣はセブンイレブンとなっているが、実はここに合名会社越前屋雨谷商店という砂糖、紙類、セメント、壁用材料、塗料、化粧品、砂糖等々取り扱う大きな商店があった。昭和大恐慌で閉店したが、商店の関係者であった森家が購入し1938年(昭和13)民家として御所見の打戻に
移築した。その後2014年(平成26)に盛岩寺の境内に移築、店舗兼主屋は国の登録文化財に登録され現在は薬師堂として使用されている。一度は訪れてみたい所です。 

参考資料:「藤沢の地名」日本地名研究会編 発行藤沢市 「藤沢郷土史」加藤徳右衛門 名著出版
盛岩寺HP