藤沢宿をあるく(6)
白旗横丁

 八柳 修之

旧東海道(国道467号)を西へ、白旗交差点を右折する道は国道6号、旧八王子街道、白旗神社までの道はかっては白旗横丁と呼ばれ、肥料、農業関係の店が軒を並べていた。今でも昔からのお店が残っている。藤沢本町駅からの道と交差する所に重厚な建物で目を引くお店、タネや苗を販売するタネトウこと「種藤商店」がある。タネトウの名は種屋藤三郎商店に由来し創業は明治初期。現在は高梨英彦商店、専業農家、家庭菜園向けの野菜や花のタネ、苗を販売、サカタのタネの代理店でもある。


その先に「林農機具店」がある。創業は昭和初期、本町周辺に関次商店など肥料商などがあった頃からのお店である。農機具は時代と共に変遷し大型化し現在は修理を専門としているようだ。はす向かいに「小室一郎商店」がある。住宅設備、生活雑貨の販売をしているが、「長州風呂工事」の看板がある。現在は一般家庭の風呂といえばユニットバスが主流であるが、調べてみると長州風呂とは五右衛門風呂のことである。石川五右衛門が釜ゆでの刑になったことで知られる風呂、風呂釜全体が鋳鉄製、底が直接釡となっているものである。私が子供の頃はまだあったが、下駄を履いて入るものであった。長州風呂はとっくの昔に使われなくなったのに看板があるのはお店の歴史を感じさせる。当主小室一郎氏は白旗神社に皇太子殿下御成婚記念に手水舎を奉納していることから、白旗神社の氏子でこの地区の有力者である。


ところで、昔は代金の支払いは掛け売りが一般的で、暮れ、大晦日までに代金を支払うのが一般的であった。その様子は樋口一葉の「大つごもり」にその一端が描かれている。

白旗神社の周辺では白旗神社の祭礼のときに掛け金を収穫した現物で支払う「白旗勘定」と呼ばれる決済方法があった。白旗勘定は大正時代まで続いていたが、次第に貨幣で支払われるようになったという。
 (出典:「藤沢わがまちのあゆみ」児玉幸多。藤沢文庫)