藤沢宿をあるく(9)
伝義経首洗い井戸

 八柳 修之


東海道を西に向かって白旗交差点の少し手前、マンションと交番の間の小道を入ると伝義経首洗い井戸がある。2005年NHK大河ドラマ「義経」、タッキーこと滝沢秀明が演じた義経、松平健の武蔵坊弁慶の人気で賑わいを見せたこともあったが、今は訪れる人は少ない。

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源義経は平家追討の第一の功績者にもかかわらず、兄頼朝の勘気(いかり)を受け、追われる身となり、奥州平泉の藤原秀衡を頼るが、文治5年(1189)4月30日、頼朝を怖れた秀衡の子、泰衡に攻められ平泉の衣川館で自刃した。その首は鎌倉に送られ、6月13日、和田義盛、梶原景時によって首実験がなされ腰越の海岸に捨てられた。首は境川を遡り、この辺りに漂着。里人がその首をすくい上げ洗い清めたのが、この井戸と伝えられるという。境川は潮の干満の影響を受けて水位が変動する感潮河川であるから不思議ではない。ところで義経の首が鎌倉に届けられるまで、実に44日もかかっている。当時でも平泉〜鎌倉間は20日程度の行程とされていた。首は腐乱し、果たして義経の首と分かっただろうか。

わざと時間をかけたのではないか。義経の影武者杉目太郎の首ではないか。ここから義経生存説が生まれた。岩手、青森には古くから義経北行伝説があり、義経は平泉を脱した後北上山地から宮古に出て三陸海岸沿いを八戸、青森、津軽半島の先端三厩まで北上、海を渡って北海道、さらに大陸に渡ったという伝説がある。事実、多くの義経判官神社や義経が泊まった家、残したとされ遺品がある。義経生存説を紹介したのが新井白石、林羅山。徳川光圀が支持し、あのシーボルトまで義経=チンギスハン説を世界に伝えている。白旗神社は古くから寒川比古命を祭神としているが、宝治3年(1249)、頼朝が義経も合祀するようにとの命により御祭神としたと案内板は伝えている。北行伝説の道を辿るウォークもありサハリンまで行った友人がいるが、今の私にはもうできない。

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出典:案内板 ウィキペディア
    「義経夢の跡探求地図」盛岡市文化地層研究会