藤沢宿をあるく(16)
昭和初期の年末 お正月

 八柳 修之

昭和初期、藤沢の年末、お正月の様子が「藤沢・わがまちのあゆみ」(児玉幸多)に書かれていた。現在の年末、お正月と比べ興味深いので要約してみました。
12月13日:煤払い。正月の準備は煤払いから始まる。仕事を休み、家族総出で日の出と共に大掃除を行う。
終えるのにたっぷり一日かかる。夜は白いご飯にけんちん汁を作って家中の神々にそなえる。神棚の大神宮様、台所の恵比寿大黒様、竈の荒神様、井戸の井戸神様、便所の神様である。
27日:餅つき。28日までに行うのが通例、29日はクモチ(苦餅)。31日はヒトヨモチ(一夜餅)と言って嫌う。真夜中から米や粟をふかし、お隣り二、三軒集まって、お供え餅やのしもちを作るので一日中かかる。
28日:寒川一の宮に市がたち、正月料理の材料や正月飾りなど買いに行く。遊行寺と片瀬竜口寺にも市がたち大層な賑わいである。氏神社の神主がお札を配りに来て神棚にお祭りする。
30日:門松を立て正月の飾りつけをする。一夜飾り(31日の飾りつけ)は必ず避ける。門松は裏山から切ってきた松と竹と一緒に門口に二本立て、その間に縄を張ってシメを下げる。お飾りはシメナワを玄関と家中の神々と近くの道祖神とに飾り、神棚にはクミダレを飾って、橙、ゆずり葉、昆布,手ぬぐい、塩サケを吊るす。お飾りは年男(家の正月祭りを司祭する男子)が三日前からつくっていた。
31日:氏神社で大祓い行事がありお祓いを受ける。白旗神社周辺では太神楽が厄払いをして回る。晩にはソバを作って食べる。除夜の鐘が鳴り始めてから氏神社に初詣に行く。また、福の神を招き入れるといって一晩中戸を閉めずにおく。
元旦:早朝、年男は一番先に起きて井戸から若水を汲み、その水で雑煮をつくる。雑煮の下ごしらえは31日うちからやっておく。元旦から三ヶ日、雑煮をつくり年神様をはじめ家中の神々に供えるのは年男の役目。雑煮は大根・里芋の煮たものをお椀に盛り、その上に焼いた餅をのせ,熱いダシをそそいだもので、神様に供えるものには大根も里芋もゆでただけでダシも使わず味付けもしない。朝食後はオアンマイリといって氏神社へ初詣に行く。
3日:お年始日、親類の者がそれぞれの家へ年始の挨拶に集まり、手料理を作ってふるまう。
4日:檀那寺の住職が年始の挨拶に来るので、早朝から門松と正月の外飾りを外す。坊さんに門松をくぐらせてはいけない、といわれているからである。
6日:晩は5日年越といって大晦日と同様に年越そばを作り、神様に供えて皆で食べた。夕方には、年男が翌7日の朝につくる七草粥のナズナを叩く。
7日:七日正月といって仕事は休む。七草粥をつくり、神棚に供えてから家族で食べる。


11日:蔵開き。蔵の前に塩をまき、新酒一升、米一升を盆に盛り、榊の枝を立て拝んでから戸を開ける。
鏡開き。お供えの餅を割って汁粉をつくって神々に供えた。この日は嫁の初正月と言って、昨年嫁いだ娘さんがお婿さんと一緒に供え餅を持って里帰りする。
14日:サイト焼き。道祖神のそばの空き地に組の家々から正月のお飾りや門松、古いお札など積み上げて燃やし、この火で団子を焼く。夜には14日年越と言って組でお日待ちをする。当番の家では、小豆を用意し米を持ち寄って小豆粥をこしらえ、大人も子供も組全員が集まって夜通し寝ないで遊んだ。
15日:小正月。朝、小豆とお供え餅を砕いて粥を炊く。
やぶ入り、奉公人は朝食を食べてから里帰りする。
以上だが、七福神めぐりがない。七福神めぐりの起源は定かではないが、一説には家康が人々の心を鎮める政策として広めたとされる。江戸谷中の七福神めぐりをはじめ、以後、全国に広まった。ちなみに「藤沢七福神めぐり」は、昭和28年(1953)から藤沢市観光協会が始めたものである。FWAの恒例行事「七福神めぐりは」、平成8年(1996)から毎年、開催している。

参考文献:「藤沢・わがまちのあゆみ」児玉幸多
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