随筆
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北嶋 裕子 |
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自由歩行になって、地図を渡されているのにおしゃべりに夢中でポケットに地図を入れてしまい、前の人のお尻について行ってしまい一緒に道に迷い、地図を出して、地図が見づらいと言っている人に同調している自分がいる。 私の方向音痴のルーツは、既に二十代に始まっていた。私は男兄弟の中で育ち、すぐ上の兄が免許証を取ったとき、運転練習をするので助手席で地図を見て欲しいと云われ、鶴見から東京方面に向かった。ここはどこと云われ、地図に(環七)と書かれていたので(かんしち)と答えると、兄がわからないという。私も(かんなな)と読むとはわからなくて二人で困ってしまった。 私が免許証を取った時には、弟が運転を教えてくれる事になり鶴見から夜の鎌倉に向かった。走行中に助手席の弟が免許取り消しだという。江ノ電の踏切で一時停止をしなかった。私には緊張していたこともあり、真っ暗な中にあった踏切が見えていなかった。帰りは助手席に乗っての帰宅となった。 私は来年70歳になるが相変わらず地図を読みこなせていない。右、左の間違いが多く ![]() |