平山画伯と共有した「ヒマラヤ」

  谷村 彪

   私が ヒマラヤトレッキングに行ったのは2004年10月、今から18年前のこと。今日の話はその後日談である。2011年1月18日から3月6日まで東京国立博物館で文化財保護法制定60周年記念「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」展が開催された。2部構成の後半部で“大唐西域壁画”というコーナ−があり、その中の第4場面<西方浄土須弥山(さいほうじょうどしゅみせん)>で描かれた壁画が、私がトレッキング時に肉眼で見た峰々そのものであった。正面にエベレスト、そしてその手前にローチェ、アマダブラム、タムセルクといった7000mから8000m級の山々が描かれていたのである。この壁画は平山画伯が20年以上かけて制作し2000年12月奈良・薬師寺に奉納され、寺外では初めて公開されたものだという。平山画伯は唐の時代に僧が中国・長安からインドのナーランダ寺院に至るまでを7場面(13枚の壁画)の設定で描いている。

         大唐西域壁画の第4場面<西方浄土須弥山>     ※転載禁止

 私はこの壁画の前で30分以上足止めさせられた(魅せられた)。最初は中央、そして右、左、また中央と場所をかえ縦2.2m、横9.6mの大壁画をじっくりと見直した。私が現地で見た2004年10月のシーンが蘇ってきたのである。それにしても、さかのぼること20数年前、平山画伯が同じ場所でスケッチをしていたとは・・・・。
 
 平山画伯がスケッチしたのは1981年12月。その模様は翌1982年2月朝日新聞夕刊に掲載されたコラム「ヒマラヤの旅」に詳しい(私は国会図書館で縮刷版を入手した)。
 
 私の銀塩フィルムで撮ったヒマラヤと平山画伯が描いたヒマラヤが全く同じシ−ンで残っているとは奇跡としか言いようがない。
 
 というわけで、企画展と私のトレッキングとの共通部分が多く感じられたので、自分勝手に「平山画伯と共有したヒマラヤ」とさせていただいた。 

ヒマラヤトレッキングの際に撮影した写真