紀行
ソロへ
平成26年6月28日 池内淑皓 |
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3月9日(水) 滞在9日目、今日はソロ(旧名スラカルタ)へ移動する。 ジョグジャカルタからソロまでは急行列車で1時間程だから、朝改札で切符を買う ことにした。 ジャカルタ・トウグ駅発9:45---ソロ着10:48. 始発であるから正確に出発し、ほぼ正確にソロ・バラパン駅に到着した。車窓は都会を離れ、丘陵地帯が増えてきた、ジャワティー(お茶)の産地である茶畑が広がる。 ジャカルタが「東京」であれば、ジョグジャカルタは「京都」に相当する、ソロは将に「奈良」と呼ぶにふさわしい、こじんまりした古都だ、私は中学生の時音楽で歌ったジャワ民謡「ブンガワン・ソロ」を思い出す。 ソロには王宮が二つあり、それぞれがスラカルタの人達の心の拠りどころとなっている。 小さな町であるから、一日もあれば一回り出来る範囲だ、さっそく写真で歩いて見よう。 |
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「ソロの町 地図」 スラメッツ・リヤディーのメイン道路を挟んで二つの王宮が見える 北側はマンクヌガラン?王宮で南側は「カスナナン王宮」となっている。 ソロ川は町外れを流れている。黄色で囲ったウイサダHが滞在した宿屋、本通りに面しているが交通量が少なく静か。 |
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ジョグジャを出て小一時間、「ソロ・バラパン駅に到着する。 どこの駅もそうであったが、ホームの床は大判のタイルが張ってあり非常に清潔、そしてキオスクがあり、大きな駅には軽食が食べられるお店が付属している。 今日のお泊りは少し上等で、大きなバスタブ付、ミニバー付のホテルに滞在する事とした、少し旅の疲が出てきていて、大きなバスタブにゆっくり浸かり休養したかった。宿代は朝食付で1300円である(有難いことに宿代はどんどん安くなってゆく、田舎に向かっているからだろう) |
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ソロ川」 ジャワ民謡の ブンガワン・ソロはこの川を云う。ブンガワンとはインドネシア語で「川」と言う意味。 ♪ ブンガワン・ソロ 南の島 ヤシの木陰で 何を想う 過ぎし日を ・・・・・ 1940年頃グサン・マルトハルトが作曲した名曲で、インドネシアではいつでも、どこでも、誰でも歌われる。 ソロ川はジャワ中部を流れる全長540kmの河川で、乾期の今は水が枯れている、雨季には滔々と流れ、彼らの心のよりどころとなる母なる川だ。 |
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ブンガワン・ソロ |
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「ラジャプスタカ博物館」 小さな建物であるが、ジャワ、バリ、タイから集められた展示品が多い |
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学芸員と?一緒にパチリ |
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「カススナン王宮」 18世紀以前ジャワを支配していたマタラム王朝は、ソロの西にあるカルトロスを王都としていた、18世紀に入って王位継承争いが始まり、王家が二つに分かれ、同じ土地に二つの王朝が誕生する事となった。 |
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カススナン王宮は別名スラカルタ王宮とも呼ばれ、この町のシンボル的存在である。風が吹き抜ける様に広々とした空間を持ち、典型的な中部ジャワの王宮形式で造られている、1745年この地に遷都して、名も「スラカルタ」に改めた。 |
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王宮に仕える女官。今でも王が住み彼女たちが仕える |
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女官さんと一緒に記念写真を一枚、落ち着いて品のある方だ |
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「マンクヌガラン王宮」今でも王族が暮らす 1757年マンクヌゴロ王がオランダ植民地政府の力を借りて建設した。開放的なジャワ建築様式であると言う。王の部屋、王女の部屋、儀式の部屋、瞑想の部屋、王家のコレクション等見学できる |
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王宮内ではガムラン音楽やジャワ舞踊、ヤワンクリック(影絵)が上演される |
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「町に出て甘い焼き菓子を食べる」 ココナッツミルクを鉄板で焼いて、粒餡を載せて二つに折って食べる パリパリの皮にあんこが旨い |
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今宵はビンタンビール、ガドガド、ナシゴレン、アイスクリーム(レストラン「アデムアヤ ム」にて) |
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インドネシアを歩く(8) ソロへ続く | |