紀行

ベトナムを歩く(1)

発端・ハノイ到着

 平成26年8月24日 池内淑皓

 2014年7月20日から8月10日まで22日間ベトナムを歩いた。アジアの国々を訪ねる旅は昭和の頃から続けてきたが、特にインドシナ半島の国々の鉄道に乗る旅が面白くて、好んで列車に乗ってきた。
 今回もベトナムの首都ハノイから南のホーチミン(サイゴン)まで1,726kmを途中下車しながら車窓の旅を楽しんだ。

 旅の友は、ダイヤモンド社発行の地球の歩き方「ベトナム」’13〜’14に依った。別名”地球の迷い方”と云う不名誉な噂の本でもあるが、一人旅では力強い頼りになる伴侶だ。

 ベトナムは社会主義共和国であるが、一党独裁の共産主義の国。15日以内の旅行であればビザはいらない、それ以上の滞在であれば30日間の観光ビザが必要となる(8,500円)、ベトナム大使館は小田急線の代々木八幡駅から15分の所にあり、午前中申請すれば午後にビザは発給されるが、午後に申請すると翌日渡しになるので注意。万事共産主義の国行動がスローモー。
 
 航空券は7月の出発で4月に手配した、この方が安い、航空会社はANAとした(燃料、空港使用料等含み全額67,730円)、行きは羽田発8:55でハノイには12:05に到着する(時差ー2時間)。一人旅の場合は、なるべく明るいうちに訪問地に着いていた方が行動に余裕が出て、不安が少なく安全。

 
   
 空港でベトナムドン(VD)に両替する。100円が20,000VD、500円が100,000VD 桁が大きいので要注意。

 路線のミニバスに乗って滞在予定の「ホテル リトルハノイ30」に向かう。ハノイ大聖堂のそばであるからすぐわかる。宿泊料もガイドブックどおりであったので5泊する(一泊2,000円)。

宿泊した部屋、バルコニーからハノイ大聖堂が正面に見える

   
 外はメチャ蒸し暑く風が無い。道は予想通りバイクだらけ、信号に従って横断するも命がけの横断となる。この国は右側通行の国で、車・バイク優先の社会、右折車は信号に従わず右折して来る、交通整理の人は居るけれど全く用をなさない。 出来る限り信号機のある歩道を最大限の注意を払って横断する、横断時は立ち止まったり、後ずさりしてはいけない、ゆっくり歩けば相手が予測して避けてくれる。
 格言にある「断じて行わば、鬼神もこれを避く」 この極意で渡る。

   
   
   
 バイクは90%が「ホンダ」製品、エンジン等主要部品は日本、タイ等から輸入して現地で組み立てる、
 125ccで10万円から20万円、50ccバイクは無い、二人乗りがOK、大人二人はヘルメット着用で違反すると罰金、社会主義の国であるから容赦はしない。子供は二人までOK、合計4人が125ccのバイクに乗る、またバイクは重要な運搬道具でもある。はち切れるばかりの荷物を載せて走る、これは違法ではないかと思うけれど浄水を運ぶ水屋さんがいるから大丈夫なのだろう。

 
   
 当然パンクや故障が起きるが、道の到る所で修理するところがあるので全く心配ない、ガソリンスタンドも多くあり心配ないが、ガソリン1リットル 135円する、とても高い。
 ベトナムは石油が採れる、石油精製工場が無いから原油を輸出してガソリンを輸入している、今中国と争っているパラセル諸島(西沙)、スプラトリー諸島(南沙)は石油が採れるのだ、中国はそこを狙っている。ベトナム戦争で、米国がしつこく戦った目的の一つはこの油田の確保にあったのだと言われている。国力の衰えたアメリカ、もはや介入する力も無くなったのだろうか。

 タクシーで旅行会社に向かう、日本であらかじめ予約しておいた「ハノイ駅→フエ駅」と「ダナン駅→サイゴン駅」間の列車の切符を受け取りに行くためである。夜行寝台列車個室の下段を指定したいので、現地に到着してからの予約では満席になる恐れがある、早めに日本から予約した。フエとダナンの間は125kmで2時間30分の距離であるから、現地の駅で直接購入する事にした、昼汽車で乗車時間も短いので三等車(木の椅子)でも大丈夫。
 旅行会社(APTトラベル電話091-576-1905)は旧市街にあるので、帰りは散歩がてら歩いてホテルに向かう。
旧市街は別名「ハノイ36通り」と呼ばれて、11世紀から栄えた街である。街並み保存地域に指定され、建物はむやみにいじれない、お菓子屋通り、おもちゃ屋通り、金物屋通り、衣料品通り、と昔から商業の町として今に伝えている。

 ベトナム第一日目の夕食は「鶏肉入りフォー」に決めた。日本で食べると800円するが、ここでは200円で食べられる、本場ものは旨い。 (このフォーは500円する果物、マンゴージュース付)

 続く