紀行
ハノイ・ホアンキエム湖
平成26年8月25日 池内淑皓 |
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[ベトナム全図 ] 始めにベトナムを少し紹介しよう。国土面積は33万?(日本の90%)、 北部は亜熱帯に、南部は熱帯に属し蒸し暑い、雨季と乾季があるが、南と北では異なる、首都ハノイの人口は650万人、ホーチミン市の人口は750万人、民族はキン族(ベト族)90%、少数民族は54部族が存在する(ホーチミン博物館学芸員談)、言語はベトナム語、文字は「クオック・グー」と言い、ベトナムを植民地としたフランスは、ヨーロッパの宣教師が発明したベトナム語のローマ字表記法を取り入れ、現在の文字とした。 インドシナ半島言語群の中では、唯一アルフファベットを用いている。声調は6つあるので、日本人が聞き分けるのは難しい。[ 悪魔、しかし、墓、馬、苗、頬、]これらの言葉は全て”マ“の発音となる。 失業率は30%(北部)、男子の給料は1万円ちょっと、とにかく女性が良く働く、アジアの国々は、女性が良く働くのは普通であるが、ベトナムでは特別と感じた、男子はあちこちでお茶して、雑談に夢中だ。 鉄道はハノイ駅からサイゴン駅(ホーチミン)まで1,726kmの統一鉄道、 中国との国境へ向かうドンダン線 (169km)、ハイフォン港に向かうハイフォン線(102km)、フォン河を溯るラオカイ線(294km)がある、全て単線で電化はされていない。 |
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[ハノイ市内北部地図] 中央にハノイ駅、東にホアンキエム湖、 北にホーチミン廟がある(地球の歩き方「ベトナム」) 7月21日(月)晴れ、今ベトナムは雨季の最中であるが、この所晴れが続いて、ものすごく蒸し暑い。 朝食はホテルで取り、体慣らしにホアンキエム湖を一周してみる、遊歩道が整備されていて、木陰があり、ベンチも多く、売店も所々に点在して散歩するには格好の場所となっている。 |
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ホアンキエム湖周回遊歩道 |
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15分程散歩いていると、剣道の竹刀を振り回している外国人に出会う、「日本で剣道をやっている」と、流暢な日本語が帰ってきた、ホーチミンで試合があるのでまずハノイに飛んで、ここで少し剣道を教えてからホーチミンに向かうのだと答える。
名は「ストッキアルベルトさん」と言う、1955年イタリア生まれで、スイスの国籍を持つ。宮崎県に住み、1983年日本女性と結婚して二児を授かるが、2004年連続放火魔事件に巻き込まれて奥さんと娘一人を失ってしまう、 犯人は逮捕され無期懲役となったが、彼は終身刑を求めて裁判を起こしていると云う、何とも暗い出足になったが、明るい顔で子供達に稽古をつけている姿にホッとした。(彼について興味のある方は、ストッキアルベルトで検索してください、詳細が記述されています) |
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ストッキアルベルトさん、連続放火魔事件を報じる当時の新聞を見せてくれる |
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やがて赤い欄干が見えてきた、「玉山祠」(デン・ゴクソン)である。 13世紀の陳朝時代に創建されたと云われる祠には、12世紀チンギスハン率いるモンゴル軍を撃破したと云うチャン・フン・ダオ将軍が祀られている、ベトナムではホーチミンに次ぐ英雄となっているそうだ。
日本の鎌倉時代、蒙古来襲で日本だけがモンゴル軍を撃退したと思っていたが、ベトナムもモンゴル軍を撃退したとは知らなかった。廟の傍らには、この池で捕獲されたと云う体長2mの大亀の剥製がある、海亀でもこのような巨大な亀は珍しい。 |
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玉山祠にて |
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チャン・フン・ダオを祀る |
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陳朝時代にモンゴル軍が軍船で襲撃してきたが、海中に埋めた杭に阻まれてモンゴルの軍船は沈没する、 絵はホーチミン歴史博物館蔵、当時の杭も展示されている 一巡りしてお茶にする、仲間に入れてもらって、ヒマワリの種を前歯で割りながらベトナム茶を飲む。 ベトナム人はお茶、コーヒーを良く飲む、この国はブラジルに次ぎ、世界で二位のコーヒー豆生産国なのだ。 日中暑い日差しを避けてアイスコーヒーを飲む、これはおいしい。大きなグラスにコンデンスミルクをどろりと入れて、濃い目のコーヒーを1/3程注ぎ、氷を一杯詰めて差し出される、匙でガラガラかき混ぜて飲む、始めは濃すぎて苦いが、程よく氷が解けて飲みやすくなる、同時にお茶も付いてくる。 |
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ホテルに戻ろうと路地を曲がったら、天麩羅を揚げる良い匂いがしてきた、道端で串揚げを食べさせているのだ、若い女性もお茶を飲みながら食べている。と、手招きして私を呼んでいる若い女性がいる、隣に座り、串揚げ(肉、ソーゼージ、さつま揚げ)とハノイビールを注文する。 彼女の名は「ニューさん」と言い、学生で挨拶程度の日本語を話した、日本語を勉強して日本に関わる仕事がしたい、と朗らかな顔で話してくれたのがとても印象に残った。 |
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日差しを避けて小さな台と、小さな椅子に座り路地の奥まで広がって、ワイワイ、ガヤガヤ楽しい一時だ 一休みして、近くにある「ホアロー収容所」を見学に行く、19世紀末に建てられた。 ベトナムを植民地化したフランスが造った監獄の一部が、町のど真ん中に残っている、1997年歴史的遺産として残された。1953年には2,000人以上も投獄され処刑されている。フランス軍が撤退した後も、ベトナム戦争で捕虜収容所として使用されたという、館内の展示品で、目をそむけたくなるようなギロチンの処刑台が何とも残酷な道具に映った。 |
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フランス兵がベトナム人を拷問しているところ、真鍮のプレートが壁にはめ込まれている |
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獄舎 足枷で固定された囚人 |
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足枷 ギロチン台 | ||
続く |