紀行

ベトナムを歩く(7)

ハノイ郊外・マイチャウ(2)

 平成26年10月2日 池内淑皓

 翌朝、早いうちに起きて村を散策する、朝靄が盆地にたなびき、田圃では農夫が草取りをしている、水牛はのんびり畦道の草を食べる、畑の手入れが終わると農夫は水牛に乗って家に帰る、町では絶対にありえない長閑な朝のマイチャウの風景だ。

朝のターイ村

お父さんが後ろに乗れと言ってくれたが、滑り落ちそうなのでやめた

 村に帰ると道端で黒く焦げた小さな竹筒を鉈で削って売っている、この光景をチョンさんが見ていたのだろうか、 朝食の一品にこの竹筒を一本私にくれた、手で剥いて中のご飯を食べる、”おこわ”だった美味い。

チョンさんから頂いた竹筒の中の”おこわ”美味しい(コム・ラム・パック・ポーと言う)

  8時村を後にする、昨日訪ねたホア・バンの店に立ち寄る、早速娘さんが嬉しそうに出てきて挨拶してくれる、朝早くからお店を開けて待っていてくれたらしい、お目当てのバッグを購入する。チョンさんはここに居たのかと言い、これで良いと何度もうなずいてくれた。

 ホア・バンのお店で購入したバッグ、彼女達がバッグにサインしてくれた。私にとっては生涯の記念になるだろう

  村を離れてラオスの国境まであと100kmと言う集落の外れに来た、今日は7月26日(土)、毎週土曜日に開かれると云うウィークエンドマーケットに偶然出会う、雑貨の中でドラムを回転させて稲穂を取る「脱穀機」を売っていた、手動と電動の二種類が置いてあった。ここではまだまだ現役だ、日本では昭和20年代末まで使用されていたのを覚えている。

週末のマーケット、近在の村から、山奥から買い物に来る、何でも売っていた

 ここから先は大きな部落がない、ラオスまで100km
だという、外国人はここからラオスには入国出来ない


「脱穀機」、手前は足踏み式、奥のは動力付 今でも現役で使用している。

  川沿いに上流に向かって散歩する、ダーン川畔で竹を積み上げ、機械の音がする、近づいて見ると竹の割箸を作っている工場だった。竹を輪切りにする、二つに割る、細い箸に加工する、束ねて日干しにする、ここから先は次の工場に行くという。竹の切れ端は砕いて紙にすると言う。
全てが手早く効率良く作っているのに驚かされる、日本ではただで、コンビニやスーパーの弁当に付いてくる箸が、こんな山奥で造られていたのだ。

川沿いには竹が密生しているから、原料はただだ

竹を箸の長さに輪切りする

ここに落ちた輪切りの竹を鉈で二つに割る、傍らの女性が運ぶ

二つ割りの竹を更に一本の箸に割ってゆく、鉄製の指サック着用で安心した。

箸を束ねて乾燥させる、この先は別の工場に行き、奇麗に削られ袋に入れられる

  夕方、ハノイ駅近くでツアーを終了する。
今日はハノイ駅から夜行列車で、フエに向かう予定。列車の出発まで時間があるから、近くの「国立美術館」で17時の閉館まで見学し、時間調整のため、更に向かいにある「文廟」を覗きに行く。
  この社(やしろ)、1070年孔子を祀るために建てられたもの、またベトナムで最初の大学が、1076年ここに開設され、1779年まで多くの指導者を輩出させた。   19世紀阮(グエン)王朝時代の1442年から1779年の間約340年間、科挙試験(官吏登用試験)で合格した 1304人の名が、亀の背に立つ石碑に刻まれている(世界記憶遺産)

文廟入口にて、「僕も一緒に撮ってよ」と駆け寄ってきた茶髪の若者

文廟入口

孔子像を祀る

科挙試験で合格した1,304人の名前を刻む碑、背負う亀の形が全部違うと云う

  ハノイ発1930ダナン行きの夜行列車に乗るため、ハノイ駅に向かう、文廟から歩いて15分位の距離だからスーツケースを引きずっても大した距離ではない、夕食のバインミーを買い列車に乗る。  
  私が乗る寝台車はソフトシートで、4人が一組の個室となっていた、上下二段ベツトの造りで、程良くエアコンが効いて、枕元のライトもLEDで明るく、寝るには快適、しかし本を読もうとしたら、列車が揺れて読めなかった。


 ハノイ駅(GA HANOI)プラットホーム

 
 左の列車は私の乗るダナン行きSE19 右は終
着サイゴン行きSE1、二日後の410に着く


 
 乗車券、HA NOIFUE、列車番号SE19、 2014726
1935発、7号車10室下段(1)、料金4,800


 
 個室は木造となっているので感じが良い、内錠が
きちんとしていて、夜間の不法侵入は無い


  私の寝床、テーブルには造花のバラが飾られ、枕、ブランケットが完備、ベッドライトはLEDで明るいが、周りを仕切るカーテンが無い。

続く