紀行

ベトナムを歩く(8)

フエの町

 平成26年10月6日 池内淑皓

「フエ全図」フォーン川を挟んで左が旧市街(王宮がある)、右が新市街
(地球の歩き方ベトナムより)

 7月27日(日)6時半、列車の大きな揺れで目が覚める、良く眠むれた。洗面所で洗面するが、水が不安だから歯は磨かなかった、車内販売で熱いコーヒーを頼む、例によって大きめのカップにコンデンスミルクをどろりと入れ、濃い目のコーヒーを注いでくれる、熱くてうまい。
 列車はフエ駅9:10着の予定であったが、大幅に遅れて11時に到着した、途中工事中の徐行区間が多かったからだろう、今この統一鉄道は、日本が支援する新幹線導入が中止となり、在来線の補強工事が至る所で行われているのだ。

 ソフトシート席、リクライニングができるものの、夜通しの座席はきつい、皆グッタリしている。

 食堂車に行き鶏肉入りフォー(フォーガー)を注文する、列車内の従業員がたくさん食べている。
 食堂車は車輛の最後部に付いている、満席であったが私のために一席空けてくれた、制服の人達はこの車両の乗務員達、彼らもここで朝食を食べる

 ベッドからの車窓風景、見渡す限り田圃、ここでは年3回お米が取れる、「薔薇」は造花であるが、個室のテーブルの上に愛らしく飾られている、カーテンはピンク色で、社会主義の国にしてはしゃれている。

11時過ぎてやっとフエ駅に着いた、中部地方も良い天気で暑い。
 切符売り場で7月30日フエ駅発ダナン駅行きの乗車券を買う、10:39分発SE-3号が購入出来た。
 これでハノイから統一鉄道の終点サイゴン(ホーチミン市の終着駅)まで鉄道に乗ることが出来る。

フエ駅にて

 タクシーで予定の「ホテル・ミキ」(日本人のお母さんが経営していると云う)に向かう、車を降りたらホテルの名前が変わっている、レセプションで聞いたら、2年前に代替わりしたと言う、ガイドブックは修正されていなかった、 町の中央から少し外れているが、静かで落ち着きのある場所だ、3泊する事にする。

代替わりしたホテル 「ゴールデンロータス」

 ベトナム中部「フエ」は、1801年から1945年8月(日本の敗戦)まで、13代にわたって続いたベトナム最後の都、阮(グエン)王朝があった所。ベトナム戦争では激しい市街戦が繰り広げられ壊滅的な被害を受けた。
 町はフォーン川を挟んで、王朝のある旧市街と、対岸の新市街に分かれている、私は新市街に宿を取った。何かにつけ行き来するのに便利だから。
 歴代の王達の陵墓はフォーン川支流に沿って広く点在している。
 お昼を食べにフエ大教会前を通り、「アンクー市場」へ行く、ここもハノイの市場と同じようににぎやかだ。

 「フエ大聖堂」ベトナム戦争の最中、アメリカの援助により建てられた、ヨーロッパの建築様式とベトナム様式の折衷で独特な作りだ

 遅めのお昼を食べる、バインミーを食べるつもりが、ついでにまたフォーを屋台で食べる。
 ハノイのフォーとの決定的な違いは、お皿に山盛りの「もやし」と「香草」が出されることにある、適当に丼に入れて、ライムを絞って、醤油(魚醤)で味付けして食べる、生のもやしは日本人には青臭く感じる。食文化もフエのあたりでハノイとの違いが出てくる。ハノイでは「もやし」は絶対に出てこなかった、南の空気が感じ取れる。

フエの新市街、ハノイと違って喧騒がなく静かだ。

 午後は新市街を探検しながらホテルに向かったが町は静かで、バイクも少なく、全体に落ち着きがある。
 夕食は、地球の歩き方に書いてある 家庭料理「子供の家」と言うレストランに行く。恵まれない子供たちの自立をサポートする、日本の援助団体(JASS)が経営する日本料理店だ。もちろん子供たちが一生懸命日本料理を作っていると言う。

家庭料理「子供の家」入口にて

 お食事処の提灯がなんともフエには似合わない、外国人にしてみれば理解できない文字であるから、人を引き付けるのかも分からない。

お手伝いで来ている静岡の笠井さん

 子供たちの日本料理を指導している静岡から来た笠井さん、彼女はJASSのメンバーで、三週間前此処に来て、ビザが切れるまでの30日間滞在して、次の方と交代するのだという。懸命に頑張っている子供たちを見れば、つい支援したくなってしまう。ここで純日本料理を作るには、材料の調達が大変だと言う

食堂の壁には、子供たちの写真や、寄せ書きが一杯飾られている
続く