紀行

ベトナムを歩く(9)

フエ・王宮

 平成26年10月16日 池内淑皓

 7月28日(月)滞在9日目、今日は半日かけて阮(グエン)王朝の王宮址を訪ねる、朝はゆっくりホテルでバインミーを食べてから、タクシーでフォーン川に架かるフースワン橋を渡って、王宮正門前に到着。
 フエは漢字名で「順化」(トウン ホア)と言う、14世紀陳朝が設置した順州・化州に由来する。化のホアが転訛して「フエ」と呼ばれるようになった。
 王宮の建設には3万人が動員された、星形城郭でヴオーバン様式と呼ばれる。王宮地域は縦604m、横622m、高さ4m、厚さ1mの城壁で守られている。
 1802年から1945年の間、阮朝の都が置かれた古都。ベトナム戦争では北ベトナム軍がここを拠点としたために、米軍の爆撃を受け、王宮が廃墟になるほどダメージを受けたが、1993年世界遺産に登録された。

「王宮地図」 
正門入口が王宮門(午門)で、左右の池を抜けて太和殿に出る、ここに玉座がある

 まずは大きなフラッグタワーが目の前に飛び込んでくる、1809年、初代阮王朝のザーロン帝(嘉隆帝)が建てた国旗掲揚塔で高さ30m、当初は木製であったが、1969年コンクリート製に造り替えた。

外堀から見たフラッグタワー、フエのシンボル的存在

フラッグタワー広場にて、台座の高さは17mあり、上ることが出来る。

「ガン門」  
王宮への入口である「ガン門」を潜る、王宮の外堀から宮殿敷地に入る門

 ガン門を潜ると、いきなり4門の大砲がずらりと並ぶ、初代ザーロン帝が在位の1803年に造られた大砲が置かれている、中国の五行思想が反映され木、火、土、金、水を表し、王宮を守護する大砲だという。

 
外壁にはベトナム戦争当時の砲弾の跡が生々しい

王宮内の至る所にベトナム戦争の爪痕が残る、王宮はこの戦争で完全に破壊された

 1968年ベトナム戦争の「テト攻勢」で、王宮を中心に激戦となり、宮殿は大損害を被り、王宮内の大部分の建物が破壊された。
 およそ2,800人余の官史、警官、教師、学生らが南ベトナム解放戦線兵士(ベトコン)により殺害された(フエの虐殺)。 将に ”豆を煮るにその豆殻を焼く” だ!(曹植)/(三国時代曹操の子)

 「王宮門」(午門)に向かう、第二代ミンマン帝(1820-1841)の時に創建したと伝える門を潜る、門口は5か所あり、中央は皇帝の出入り口、その左右は文官、武官の出入り口、その外側の門は兵士、象、馬等が出入りした門である。
中央の入口が皇帝専用の門、左右の門は当時の文官や官達の出入り
口、門の上は楼閣となっているが、現在改修工事のため立ち入り禁止

「文官・武官の出入り口」 今は観光客の出入り口、
左側の出入り口は兵士、家畜類の出入り口

 宮殿内の左右の池を抜けて「太和殿」に向かう、黄色い屋根の大きな建物は中国の紫禁城を真似て造られている、1803年ザーロン帝により造られた。ベトナム戦争で完全に破壊され、1970年に再建された。
 この建物は皇帝の即位式や国賓の歓迎式典等に使用され、皇帝の座る金箔の玉座が残っている。

皇帝だけが渡ることが出来ると云う金水橋から 太和殿を望む

太和殿

かつての栄耀栄華の時代の太和殿(絵画)

屋根の龍の飾りが栄華の昔を偲ばせてくれる(陶磁器製)

王の玉座

王宮内出入りの各門



屋根の排水溝、雨水が鯉の口から流れる仕組み(陶磁器製)

北闕台から見た堀と回廊

北闕台楼閣屋上にてお茶する、宮殿内が見えてなかなか快適

お昼は外国人御用達のレストラン&バーで昼食
続く