紀行

ベトナムを歩く(12)

ダナン(2)

 平成26年11月6日 池内淑皓

 今日はダナンの博物館と、チャム彫刻博物館を訪ねてみる。
 ダナン博物館は最近新しく建て替えられた、ベトナム中部地方の歴史、文化、人々の暮らしが三階建てのスペースに陳列されている。もちろん先のベトナム戦争の、生々しい残酷な映像と、武器が陳列されている。
 チャム彫刻博物館は、フランス人が各地のチャンパ王国遺跡の発掘品をここに集めて陳列してあるので、ミーソンの遺跡を訪ねる予定の方は、ここの博物館で発掘品を見学したら良いと思う。


「ダナン博物館」  1989年開設、2011年4月リニューアルしたモダンな建物。
  昔のディエンハイ城と呼ばれた城跡に建てられた博物館。
  入口の武将像は、阮王朝時代の軍師「グエン・チー・フォン」像、三角に見えるガラス様オブジェは、建物空間に5つの帆布をイメージしている、沿海都市であることをアピールしているのだ。

 
 1階は先史時代の土器類発掘品に続いて、紀元前2世紀から続く中国の支配下にあって、中国文化を積極的に取り入れて今の北ベトナム発展の礎としている、この展示は儀礼の装束。

 10世紀頃中部の漁村であろう、一漁民の慎ましやかな暮らしを描いている、貧しくとも穏やかな暮らしがここにはあった。

住まいの下に船舫いを設けた素朴な漁村の風景

 2階は一転して戦争のコーナーとなる、ベトナム戦争でダナンは多くの被害を受けた、
 落下傘爆弾の展示は「クラスター爆弾であろうか」多くの村や人が殺戮された。

 南と北を結ぶ「ホーチミンルート」の遮断を目指して、カンボジャ、ラオスまで侵攻するアメリカ軍

 「ナパーム弾から逃げる少女」  この写真は世界中で有名となったピューリッアー賞の一枚。
 裸で逃げ惑う少女、背景はナパーム弾で焼かれる村。1972年6月8日AP通信社のニック・ウットはサイゴンから40km離れたチャンバンと言う村に向った、ベトコンが支配する村を奪回するために南ベトナム軍が空から村を攻撃したのだ。
 手違いが起こり、大量の炎が友軍と民間人の頭上に降り注いだ、裸の彼女の名前は「ファン・ティ・キム・フック」と言う。フックは熱い、熱いと叫びながら泣き叫んでこちらに走ってきた、ウットは彼女の背中に水をかけてやり、病院に運んだ。写真は直ちに全世界に配信され、時代を特徴づける象徴的なイメージとして世界にショックを与えた。
 戦後北ベトナム政府は彼女をキューバに留学させ、薬学を勉強させる。最終的にキム・フックは夫と共にイギリスに亡命し、カナダに移住した。ベトナム政府は彼女とその写真を「プロパガンダ」に利用したのだ。

 *ナパーム弾(CBU-55)は強烈な気化爆弾で、落下後音速の速さで一気に、そして広範囲に熱風が広がる、一瞬にして人を火傷させる(説明のベトナム語では90〜3500℃と書かれている)。

「チャム彫刻博物館」
 町の南に位置し、ハン川のほとりにあるモダンな建物。ダナン博物館からタクシーで5分位、300円で行けるが、歩くのは暑いので大変。
 この博物館はベトナム中部を中心に、カンボジャ、ラオスまで広範囲に国を築いた「チャンパ王国」発掘品の数々を陳列している、「ミーソンの遺跡」を訪ねる前に是非見ておきたい展示品が多い。
 尚、陳列されている発掘品の大部分は、フランス側の発掘調査で発見されたものだと言う。

  
「チャム彫刻博物館正面入り口」
 チャンパ王国は4〜5世紀ベトナム中部からラオスにかけて栄えた王国で「ミーソン遺跡」はチャンパ王国の聖地であったという、4世紀後半最初にバドラヴァルマン1世が、ヒンズー教のシバ神を祀った木像の廟堂を建てた、この廟堂は焼失し7世紀に入って煉瓦で再建されたという。
 現在は7〜13世紀頃に建てられた建造物が残されている、ミーソンの遺跡を訪ねるので詳述したい。










続く