紀行
ミーソン遺跡を訪ねる
平成26年11月11日 池内淑皓 |
ベトナム滞在12日目、今日はダナンからAPTトラベル社(www.aptjapan.com)主催のツアーを利用し,日帰りで往復しようと思う、路線バスはダナン大聖堂の前から五行山経由でホイアンまで出ている。 ホイアンからミーソン遺跡(世界遺産)まで路線バスが出ていると言うが、不確かなので利用するのをやめた、ダナンから昼食を含めて8,400円でホイアンとミーソンを見学できるので都合が良い。 8時ちょうど迎えの車が来た、今日は私と、ミーソンの遺跡見学まで一緒の千葉県から来た若いカップルとのツアーとなった、ガイドさんは名を「ロンさん」と言う若い女性だ。 |
ミーソン世界遺産遺跡入場券(500円) |
10時にミーソンの遺跡に到着、私が平成14年に訪問した時は、車を降りた後歩いて川を越え、泥道を20分位たどり、やっと遺跡に着いた記憶がある。 今は車が直接遺跡の近くまで横付けして、快適な遊歩道が遺跡まで案内してくれる。 |
遺跡はAグループからHグループ(8遺跡)に分かれているが、ベトナム戦争時ベドナム解放軍がここを拠点としたために、米軍の空爆でかなり破壊されてしまった。 |
グループCとグループBを見る。後方の山は「マハールヴァダ」(獅子岩)と言い、チャンパ人にとって聖なる山となっている。 このあたりを流れるトウボン川流域に、70を越える遺構が草木に埋もれていた。ここは7世紀頃のチャンパ王国の聖地である、遺跡は四方の山に囲まれ、南に聖なる山「マハールヴァタ」が聳える盆地の中央にある。 4世紀後半、チャンパ国の王がヒンズー教の「シヴァ神」を祀った木造りの祠堂をここに建てた。7世紀に現在の日干し煉瓦を使って、接着材を使わずレンガの迫り出し工法によって造られた。祠堂の壁面を飾る女神像や、彫刻物が見事であるが、かなり破壊され、彫刻の一部は泥棒により持ち去られてしまった。 これら彫像の類似は、カンボジャのアンコールワット遺跡群に多く見ることが出来る。(ロリオス遺跡、ヤショダウラプラ王都、コーケー遺跡、バンティアイスレイ遺跡等) |
手前の安山岩でできた祠堂はアメリカ軍の攻撃で破壊されたと言う。奥の高い建物は、「マンダパ」と呼ばれ、「瞑想室」であったと云う、今は出土品の展示場になっている。 |
彫像の首は剥ぎ取られており、風化と破壊がかなり進んで、もはや廃墟に近い。 |
朽ちてしまった祠堂 |
上等な彫刻はダナンの彫刻博物館に保管されたが、最も良い彫像はフランスが母国に持ち帰ってしまった。 |
「リンガが収まる祠堂」 祠堂内の中央にはヒンズー教のシンボルの一つ”リンガ”が”ヨニ”の上に収まる この祠堂は米軍の空爆により完全に破壊されてしまった。 |
遺跡の外に放置された「リンガ」:サンンスクリット語で男性器を表す、シヴァ神の象徴として、繁栄を意味する |
修復が進むグループE |
「修復中の祠堂」小さな日干し煉瓦の一つひとつ、接着剤を使用せず、煉瓦の面同士を擦り合わせながら、少しずつずらせて積み上げて行く工法で、建物を高く、内部空間を大きくしている。 この中にリンガとヨギが収まる。 |
内部が崩壊してしまった祠堂 |
また、ラオスのパークセー郊外にあるチャンパサックの「ワットプー遺跡」にミーソン遺跡の面影を偲ぶことが出来る。ここはチャンパ王国の首都であったと云う。ミーソンはワットプーと国境を挟んで、背中合わせに位置している。 チャンパ王国は、2世紀末から15世紀まで、ベトナム中部とラオスにかけて栄えた国家である、チャンパはインドの影響を受けてヒンズー教を主に崇拝しつつ、独特の文化を形成していった。 |
「ワットプー遺跡全景」 遺跡入口からリンガの石標が祠堂の入口まで続く、プルメリアが咲く階段を上ると、主祠堂がある。(平成21年1月訪問した) |
ワットプー遺跡: 「北宮殿」 山の上の本殿に向かって、北宮殿と南宮殿がある |
北宮殿の外観 |
続く |