紀行
ホーチミン市中央郵便局辺り
平成26年12月12日 池内淑皓 |
8月3日(日)、朝早く目が覚めたが少し朝寝して、サイゴンの空気を胸一杯に吸う、今日は青空が出ている。 朝食を食べ終わって部屋に戻ってきても、同じ位置に朝日が射し込んでいる、日本だと朝日の照らす位置が少しずつ変わってゆくが、ここでは位置が変わらない、朝6時の日差しのままなのだ。 ここで問題、読者諸氏はなぜなのか分かっただろうか、私は窓から顔を出してすぐ理解できた。 |
ホテルのミールクーポンを利用して、隣のレストランでアメリカンスタイルの朝食を採る。ベトナムに来て、初めてアメリカンスタイルの朝食だ、とてもハイカラで新鮮な気持ちがする。 |
新聞売り子が私のテーブルまで来て、ベトナムの新聞を差し出す、一面トップで岸田文雄外務大臣とベトナムのグエン・タン・ズン首相と握手している写真が目に飛び込んで来た。 8月3日付紙面によると岸田外相は、フアンビン・ミン外相と商業分野でより発展的に交流を加速させる、農産品についても門戸を広げると提案し、両国のパートナーシップを更に堅固なものにしたいと提案している。 また教育、科学技術の分野でも広く支援してゆくとし、特に南シナ海をめぐる中国との軋轢では、日本は海上防衛の協力を提案し、艦船の供与も約束したと言う。ますます日本はベトナムに近づいているのがよく分かる。 私が日本人と見て、この新聞を差し出したに違いない。翌日は二日遅れの朝日新聞を持ってきてくれたし、その次の日にはなぜか、中日新聞を持ってきてくれた。 そして10月23日の朝日新聞朝刊には出光の全面広告で、「ベトナム・ニソン製油所が2017年操業開始」との広告が目に飛び込んできた。ベトナムに日本の資本で製油所が出来るのだ。製油所が不足していて原油を売って、ガソリンを買っていた国が、一貫して原油から全ての種類の油を手にすることが出来るようになるのだ。 因みにベトナムは東南アジアで原油生産量は三位である、南沙諸島の石油がますます大事になってきた。 |
「統一会堂周辺図」 地球の歩き方ベトナムより引用 水上人形劇場、統一会堂(旧大統領官邸)、戦争証跡博物館、サイゴン大教会、中央郵便局、歴史博物館、動物園・植物園等の見所スポットが、歩ける範囲にまとまっている。 さて、今日はホーチミン市定番の観光スポットを歩いて見よう。ホテルからすべて歩いて行ける距離にあるが、炎天下の道を歩いているのは、外国人と私だけである。基本的にベトナム人は歩かない、100mの距離でも必ずバイクに乗る。 歩くと云う習慣が無いのだろうか、バイクが便利過ぎるからだろうか、彼らにとってバイクは生活の道具となっている。 |
「サイゴン大教会」(聖母マリア教会) 1877〜1883年フランスによって建てられた赤レンガ造りの教会、高さ40mある二つの尖塔が有名。教会特有のステンドグラスはベトナム戦争で破壊されたまま、前庭にはマリア像が立つ。 |
平日は8:00〜11:00と15:00〜16:00まで内部を見学出来る |
「中央郵便局」 大聖堂の隣に位置している。1866〜1891年にかけフランス統治時代に造られた |
「中央郵便局エントランス」 駅のコンコースのような雰囲気で、壮麗な建築様式は文化財としても貴重、天井はクラシックなアーチ状となっており、入口右側には1892年時代のサイゴンとその近郊地図、左側には 1936年時代の南ベトナムの地図が描かれている。 |
左右には各種申請の窓口があり、奥にはホーチミン氏の肖像画が掲げられている、中央にはお土産品と記念切手が販売されている。 |
「国営百貨店」 免税品がたくさん陳列されているが、団体観光客が利用するだけであろう。お土産品は、近くにあるベンタイン市場で十分用が足りるし、その方が安い。 |
「美術館」 20世紀初頭に建てられたフランス風の造り、中国人商人の邸宅を美術館とした。一階は特別展示室、二階は現代アート、三階は古代オケオ文化、チャンパ時代の彫像、中国古代の陶磁器等も陳列されている。 |
古き良き時代の少数山岳民族の衣装であろうか、段々畑に梅らしき白い花が咲いている |
一階のアート画廊 |
「歴史博物館」 1979年の設立、 古代から現代に至るまで美術・工芸品が集められている。 第一エリアは30万年前の土器類、から1930年までの歴史を紹介している。 第二エリアはベトナム南部の少数民族の文化と暮らしの展示 |
一階展示場 |
2,000年前の出土品、日本の埴輪にそっくり、「日本のルーツは南方系か」と考えてしまう。 |
ベトナム中部「チャンパ遺跡」の分布図 |
チャンパ遺跡出土品のコーナー |
チンギスハーン率いる蒙古軍の軍船をことごとく破壊する絵画と、海中に植えられた杭(手前)の展示 |
13世紀、将軍チャン・フン・ダオは雲霞のごとく押し寄せるモンゴル軍船を、海中に植えた棒杭で突きさ、ことごとく軍船を沈めた、アジア大陸では唯一モンゴル軍に屈しなかった国であるという。 彼はベトナムでは今でも英雄である。(チャン・フン・ダオについては、ベトナムを歩く(2)に記述した) 日本の「東郷平八郎」に例えられるか。 |
続く |