紀行

ベトナムを歩く(18)

統一会堂(旧南ベトナム政府大統領官邸)

 平成26年12月20日 池内淑皓

 今日はベトナム戦争当時の生々しい写真をお見せしよう。ベトナム人は異口同音に「国が亡びる程爆撃した国を決して忘れない」と言う。
 国家はこれらの戦争証拠品を到る所に展示して、その残虐振りを紹介し、後世伝えて行くとともに、これらに屈せず戦い抜いたホーチミン氏とベトナム解放戦線兵士らを称えている。
 このような形の展示は、ハノイからホーチミン市に到る、あらゆる都市で見る事が出来る。
まず統一会堂(旧南ベトナム政府大統領官邸)を歩いて見よう、ホテルから歩いて20分程の距離にある

「統一会堂正面入り口」 独立宮殿とまで揶揄された、1962〜1966年完成した大統領の住む官邸

 統一会堂(旧南ベトナム政府大統領官邸)、今は博物館となって誰でも見学できる

   
 1975年4月30日正午、ベトナム解放軍戦士達は銃を手にひたひたとホーチミンサンダルの音を立てて突入してきた、390戦車はこの入口ゲートを破って官邸に突入した(左は当時の戦車)

           突入した390ロシア製戦車、ル・バン・ホアが運転した。

 
1967年10月31日 宴会中の「グエン・カオ・キ大統領」(中央手を組んでいる) 

   
「謁見の間」 各国の大使達が離任、着任するときに使われる国書呈上の間、部屋は日本の漆が使用された調度品を置く。
 1975年4月18日、日本の「ヒトミ ヒロシ大使」との謁見が、南ベトナム政権最後となった。

           諸外国から送られた飾り物が、雑然と寂しく置かれている。

「地下作戦室」 南ベトナム政府軍は、大統領官邸の地下室を指令所として作戦の展開を図っていた

「大統領が座る作戦室」

「通信室」

「大統領官邸屋上脱出用ヘリポート」 
 1975年4月30日正午、グエン カ オキ大統領は家族らと共に、ここからヘリで米軍艦船に向けて度立ち、米国へ亡命した。
 翌1976年南北統一の国会が開かれ、ベトナム社会主義共和国が誕生した。
続く