紀行

ベトナムを歩く(19)

戦争証跡博物館

 平成26年12月30日 池内淑皓

 この博物館は統一会堂の隣に位置している、大きな大砲や戦車が屋外に展示してあるからすぐ分かる。
 ここではベトナム戦争時代の負の遺産がたくさん展示されていて、屋外には大型の兵器類、屋内には銃器や写真、パネルで戦争の悲惨さを訴えている。
 特に南ベトナム政府軍が、同胞のベトコン達に激しい拷問を課した「トラの檻」を見たときは、吐き気を催した。”豆を煮るにその豆殻を燃く”(曹植) (元は同根なのに、なぜこんなにひどく煮るのだ、あまりにもつれない仕打ちではないか)
 他方アメリカ軍は、ベトナムに255万トンの爆弾を投下し、54万人の兵力を投入したが、5万8千人の戦死者と、2千人の行方不明者を出して撤退した、得るものは皆無であった。
 アメリカは戦略的にベトナムで産出される石油の権益を得る事が目的であったと云う、そして今、南沙諸島近海で取れる石油は中国に浸食されつつある。
 もはやベトナムも、アメリカもこれを阻止する力は残っていない。

「戦争証跡博物館」 アメリカ人がかなり見学に来ているのが目についた。

「屋外に展示されているアメリカ軍の兵器」  手前のボートはメコンデルタ地帯のベトコンを攻撃するための船

「屋外展示の戦車、大砲、ヘリ」


 「攻撃ヘリ」 上空から罪のない農民達を無差別に殺戮したのだろうか

   
 悪逆非道の「トラの檻」 身動きが出来ない有刺鉄線の中にベトコンを閉じ込めて、自白させる。半日で体がこわばり、苦痛に耐えかねると言われる。(左は本物の檻、右は展示用で高さがある)

 
「平成26年12月13日(土) 朝日新聞朝刊より」 
  米国CIAは、国際テロ容疑者を米国外の秘密施設に拘束し、拷問による苛酷な尋問を行っていたと報じてい る、アフガニスタンの地元紙の編集長は拷問を受けたことを赤裸々に語っている。
 一辺が1mの立方体の独房に入れられ、目隠しをされ、手足を縛られ、眠ることも許されず拷問を受けたと言う。 人権をうたう米国が、50年前の拷問を今でも平気で行っていることに、慄然とする。

 館内には銃器類が所狭と陳列されている

「地雷」 人を殺さずに傷つける道具、地雷を踏んだ人を助けようと近寄ると、助ける人が、また違う地雷を踏む、一帯は生き地獄に陥る。

「釘爆弾」 フィンに触れると爆発して、釘が四方八方に飛び散り、ハチの巣のように体に突き刺さる

 正視するにしのびない写真も、事実として展示されている

 アメリカの若者たちも、既に過去の出来事として見つめているのだろうか

 戦場で散華して行ったベトナム正規軍の戦士達、彼らは英雄として祀られて居る

 1970年日本の佐藤内閣時代、ベトナム反戦運動が繰り広げられたが、共鳴した人達はわずかであった、むしろ高度経済成長期で、私自身は反戦に興味を持たなかった。

「安全への逃避」 1966年ピュリッツアー賞を受賞した故澤田教一氏の写真も掲げられている。
 幼子4人を連れて必死に川を渡るお母さん、無事岸に着いて難を逃れた。
 母親が抱えている子供は無事成長し、今は子を持つ母になっていると伝える。
続く