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大砲の製作に並行して火薬がすぐ爆発する信管(爆裂砲弾)の研究開発をする。 |
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専門的な軍隊の必要性を説き、農家の次、三男を対象に「農兵」として軍隊組織を作った。反射炉で造った新式鉄 砲を用い効果的な戦果を挙げた。
たとえば武州で発生した一揆は横浜襲撃を目指して南下してくるのを、太郎左衛門が編成した武州農兵によって一揆を壊滅させた。
また入間郡所沢から江戸に向かった一揆も田無村農兵によって阻止壊滅させている、甲斐の国でも同様な一揆を防いでいる。 |
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安政2年(1855)水戸藩はこの組織を採用して、三浦半島海岸の警備に当たらせ、長州藩も現地へ千人規模の農兵を置いた。 |
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天保13年(1842)戦闘に必要な行動食として今までの干し飯に変わって「乾パン」を作った、当時乾パンは兵糧パンとも呼ばれ、その後諸藩はこぞって採用した。 |
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農兵の洋式訓練のなかで、「気をつけ!」、「右向け右」、「回れ右」等の号令も西洋の文献から日本語に取り入れたのは彼であった。 |
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管理地の武州多摩地方の日野に出向いたとき、天然理心流の道場で稽古を付け、幕末の尊王攘夷運動について語り、後に新撰組の結成につながる。土方歳三は英龍の農兵構想を学んだと云われる。 |
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林業にも精通しており、武蔵高尾山にスギの植林も行っている、樹齢153年に達する杉があり、江川スギとして今でも有名。 |
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農業では二宮尊徳を招聘して農地の改良を行い、商品作物の増収を目指した。 |
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嘉永年間種痘の技術が伝わると、いち早く領民へ積極的に接種を推進していった。 |