紀行

東海自然歩道を歩く(31)
田口-松戸橋-大名倉-精英樹林-段戸裏谷(泊)

 平成28年10月21日 池内淑皓

 2016年7月29日(金)晴れ。昨日と打って変わって今日の行程は楽ちんだ。ほぼ平坦な森林軌道跡13kmを5時間かけて歩けばよい。7時起きでゆっくり食事して、田口の町を探検しながら段戸裏谷を目指す。

   田口から今日宿泊する段戸裏谷までの行程図  ここでは5時間と表示がある

   田口から大名倉、段戸裏谷、寧比曾岳(ねびそだけ)への概略地図

   ゆっくり休んで、きっちり朝食を食べて、おかみさんに見送られて出発

 「田口の集落」 愛知県北設楽郡設楽町田口、 岐阜県と長野県の県境に近いこの小さな町に役場の機能が残っている、観光協会もある。
 江戸時代は三河の国設楽郡で天領。郡の90%は林業である、国有林がほとんどであるが外国材に押されて苦しい。昭和35年には15,000人いた人口が、平成22年には5,000人となってしまった、減る一方だと言う。

 「伊那街道」 看板の説明通り三河と信州を結ぶ重要な街道であった。また鳳来寺と秋葉山を結ぶ街道でもあるから、田口はそれらの宿場町として、その機能を果たしてきたのだ。

 
「旧豊橋鉄道田口線跡」 飯田線の本長篠駅から田口駅まで鉄道が引かれていた、昭和43年廃線となる
このトンネルは、往時の面影を今に残す(滝上バス停裏に残っている)

田口バス停、飯田線長篠方面から来るバスはここに停車し、ここから各山奥の集落に向けて連絡バスが出ている、大名倉、宇連方面もここが始発(時刻は町役場に問い合わせる)

「福田寺」 臨済宗妙心寺派、応永九年(1402)開基

「伝武田信玄の墓と馬場信房供養塔」 福田寺境内の裏手にある、言い伝えによると、信玄が野田城攻略の折、負傷しこの地でなくなり密かにここに葬られたという。小さな五輪塔が建つ(正面奥)

福田寺の山門を出ると街道に出てすぐ右の路地を入る、案内板の文字がかすれて街道から見にくいので注意。

「松戸橋」ここで名倉方面への林道と分かれて、寒狭川(かんさがわ)にかかる松戸橋で対岸に渡る
ここには名倉方面行きのバス停がある

大名倉までは、すっかり舗装され林道となってしまった森林軌道敷跡を歩く

「大名倉古代遺跡跡」 大名倉の集落に入る一角に縄文、弥生時代の遺跡がある、出土品は田口の奥三河郷土館に収蔵されている。ここは比較的平坦な大地で、狩猟の生活を営んでいたのであろう

大名倉を過ぎると舗装の林道が終わり、俄然風情ある森林軌道敷跡を歩く

「森林軌道敷跡」 昭和14年田口~段戸本谷間に敷設され、昭和36年その使命が終わるまで奥三河の良質な材木を運んだという。今日は軌道跡を終点まで歩く

国有林となっているこの辺り、一年で一番暑い今、樹林の中は涼風が吹き抜ける。
東海自然歩道の中で最も快適と云われる軌道敷跡のトレイル、終日一人占め出来た幸せに感謝

光のパレット緑の絨毯が何とも気持ち良い、今にも気動車が来る感じがする

   橋梁が撤去されたところは、梯子で一旦谷に降りて、また上まで登り返す

「精英樹林」 この一帯は学術林だと云う。樹木の一部は種を採取する「精英樹」を丹精している所。軌道敷が終わり、分水嶺に向かって緩やかな登りとなる。

「峠」 分水嶺。愛知・岐阜の県境は、はるか先の矢作湖となるが、水系はここが分水嶺

「矢作川源流」  軌道敷が終わり分水嶺に出ると、寒狭川(豊川となり三河湾にそそぐ)と別れ、岐阜県側の矢作川水系に変わる

段戸裏谷にある豊川市野外センターきららの里に到着。

今宵はこのログハウスに独り占領して御休泊

段戸裏谷は設楽で最も不自由で不便な土地でありながら、最も贅沢なねぐらを提供していただいた。もちろん自炊であるが、自炊場がキチンとしているから問題はない。良い夢を見よう。
この項完

[参考タイムを記す] 田口(9:00)→松戸橋(9:20)→大名倉(10:30-10:40)→段戸裏谷きららの里(14:40泊)

東海自然歩道を歩く(32)段戸裏谷-五六橋-寧比曾岳-伊勢神峠-旭高原元気村(泊)に続く