紀行

東海自然歩道を歩く(34)
恵那駅-明智駅-八王子神社-安住寺-飯高観音-岩村駅

 平成28年12月18日 池内淑皓

 台風がやっと過ぎて、天候も晴れベースになってきたので、前回の続きを歩く事にした。
今回の旅は山あり、谷ありの厳しいコースではなく、旧中山道の古道が含まれているので、ゆっくりペースで物見遊山と決めた。
幸い交通の便が良いのと、宿泊施設に恵まれているので苦労なく歩けそうだ。
9月25日(日)第一日名古屋-恵那駅-明智駅-八王子神社-安住寺-飯高神社-岩村城
        址-岩村(藤時屋泊)
9月26日(月)第二日岩村-夕立山公園-野井-槇ヶ根追分-四谷-JR武並駅-(電車)-恵
        那駅 (ホテル泊)
9月27日(火)第三日恵那駅-(電車)-武並駅-四谷追分-大湫宿-琵琶峠-細久手宿(大
        黒屋泊0572-69-2518)
9月28日(水)第四日細久手宿-鴨の巣一里塚-人呑清水-和泉式部廟所-御嵩駅-新可
        児駅 (ホテル泊)
9月29日(木)第五日新可児駅-御嵩駅-大菅古窯跡-久々利-JR下切駅--塩河-可児川
        駅-犬山駅-名古屋
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 2016年(H28)9月25日(日)晴れ。 小田原に出て、ひかり号で名古屋へ。中央線に乗り、恵那駅乗り換えで明智鉄道に乗り継ぎ終点明智駅へ。7月31日ゴールした明智から歩き続ける。
 まずは大正時代の建物が残る大正村を訪ね、里山を歩きながら安住寺、飯高観音と寺巡りを重ね、岩村城下に入る。宿は宿場の真ん中にある旅籠屋に投宿 [藤時屋(とうじや)0537-43-2604]

7月31日矢作川を越え愛知県から岐阜県に入り、千畳敷公園から明智駅に着いた。今日は明智大正村をのぞき見して、八王子神社を自然歩道の出発点とした。

JR中央線の恵那駅から明智鉄道で終点明智駅に向かう、鉄路は単線で山間を縫うように走る、風情あるローカル線の一つ。廃線の運命を住民が懸命に育てて現在に至る。

「明智駅」 昭和の初めは国鉄明知線であったが、昭和60年第三セクターの地方鉄道となった。
ローカル色一杯、一日14本の列車が運行されている。小田原を8:08に出れば11時20分に到着することが出来る。 ポツネンと立つポストが印象的だ

「東海自然歩道の看板と明智光秀公ゆかりの地」 
   明智城跡は康永年間(1342)土岐頼兼が築き、その後200年間、明智氏累代の居
   城として繁栄した。
   明智光秀出生の地と云われるが不明。弘治二年(1556)稲葉山城の斉藤義竜の攻
   撃を受けて落城、
   明智一族は全滅した。以降城の再興はなかった。

「大正村」 題して大正レトロモダンと名付け、当時の建物が数多く残っている。
この道はかつて明智城への登城口であった。

「村役場」明治39年に建てられ、昭和32年まで村役場として使用された木造の洋館。
                                          登録有形文化財

「八王子神社」天暦三年(949)創建、中世遠山氏の頃、武田軍の侵攻により焼失した。現在の社殿は延宝四年の築、土地の産土。

       社にお参りして道中安全を祈願してから歩こう

町中を離れ、東海自然歩道は里山の中を縫うように標高を上げて行く、手前の針金は猪除けの電柵

「安住寺」 久昌山安住寺、臨済宗の寺
 元亀三年12月(1572)遠山景行が武田軍の武将秋山信友と戦い敗れ自害する、遺体
 は密かにこの寺に埋葬された。

「遠山景行夫妻の墓」 戦国時代の武将。美濃の国恵那郡明智城の城主。 (右奥)
初めは武田信玄方であったが、後織田信長軍の傘下に入ったため、武田軍に滅ぼされた。
戒名:乾樹院相州文学宗大居士 64歳

「姥石石仏群」 今歩いている道は明智から恵那に抜けるかつての街道。道標に「右阿けちみち」、「左やまみち」と記されている、石仏たちをここに集めて供養した。

「飯高観音」 飯高山万勝寺、臨済宗のお寺。平安初期比叡山の慈覚大師の開祖。
昭和16年の大火で堂塔を失う、平成4年新築された山の中にあるお寺(標高600m)

山道を下り、里に出ると明智鉄道が近かずいて来る、岩村の町は近い。

岩村城下町入口の道標、 「左なこや道」 安永八年巳亥一月と読める

「岩村駅」 今日はここがゴール。
 ここにも赤いポストが駅頭に置かれている、日も西に傾き日暮れが近い、早く宿屋に行こう。

「岩村城下町」 火災を免れ、岩村城下町屋として残された。恵那市はこの一帯を重要伝統的建造物保存地区と指定し、電線を地下に埋設し漆喰で固めた道路が岩村城祉へと導く。

妻籠宿や奈良井宿に似てきた。 

「町屋民宿 藤時屋」 (とうじや0573-43-2604) 今宵の休泊所
 家の中に天正時代の疎水が流れている、建物は古いがトイレ、お風呂は近代的。外国人が好んで泊に来ると言う、日本人は恵那峡の温泉に行ってしまうと嘆いていた。
 朝、夕の食事は出ないが町中にお食事処がある。

「岩村城址」 集落から登り40分、岐阜県恵那郡岩村町にある中世の山城跡で、標高717mに建つ
 日本で最も高所にある城郭。  霧が多く発生し、別名「霧ヶ城」とも呼ばれる日本三大山城の一つ。

大手一の門跡

山の地形に合わせて菱形に組んだ石垣が珍しい

本丸の北東に面し、地形に合わせて雛壇状に積み上げた石垣。全国的に珍しい

頼朝の重臣加藤景廉の長男遠山景朝が築き、その子孫の岩村遠山氏が戦国時代まで治めた。

 [参考タイムを記す] 名古屋駅(9:17-9:24)→恵那駅(10:27-10:30)→明智駅
  (11:19)食事を採りながら大正村を散策→安住寺(12:30-12:40)→飯高観音
  (14:10-14:20)→岩村駅(15:15)

この項完

東海自然歩道を歩く(35) 岩村→野井威大寺→槇ヶ根追分→四谷→JR武並→恵那駅(泊)に続く