紀行

東海自然歩道を歩く(38)
御嵩→久々利→銅鐸発掘の地→JR下切駅→可児川駅→名古屋

 平成29年2月28日 池内淑皓

2016年(H28)9月28日(水)雨のち曇り
 前夜から雨が降り続いている、朝起きても大雨。今日は今回のゴール地点である「犬山遊園」まで歩く予定であったがJR下切駅を過ぎ、広見線の「可児川駅」をゴールとして名古屋に向かった。

      御嵩駅から久々利までの行程図

      みたけの森を抜けて行く東海自然歩道案内図

新可児駅から広見線で終点御嵩駅へ、朝から雨が降り続いている。秋雨前線が本州にへばり付いて動かない。

今日は昨日の続き、駅前から東海自然歩道の道標に案内されて、みたけの森に向かって歩く。

国道脇の大きな看板と道標が分かりやすい

みたけの森も栗がたくさん落ちている、栗拾いも存分に楽しんだから、このままにしておこう。

林道と別れて山道へ

大萱集落に到着、雨は小降りになってきた。この辺りは古代から陶磁器の生産地で、至る所に古窯工房跡が紹介されている。(看板の説明では天正(1577)の頃ここに古窯があったと言う)

可児郷土博物館→JR下切駅→名鉄可児川駅→犬山へ 概念図

嵩駅→みたけの森→大萱窯跡→可児市郷土資料館→泳宮 概念図

可児郷土歴史館に展示されている久々利周辺での出土品

「銅鐸発掘の場所」 享保18年(1733)開墾中に畑の中から出土した

「銅鐸」 高さ18m 袈裟形模様の通称三遠式と類別される
発掘されたこの銅鐸は 先ほどの可児郷土歴史館に展示されている。 首長に近い豪族がこの辺りを治めていたに違いない、

「二野鍋煎古墳」この辺りは古墳群も多い。 谷の東斜面凝灰岩の台地に横穴を掘り玄室にしている、
岐阜県内では限定した分布を示していると言う

「大森城跡」 戦国時代の永禄年間(室町時代)に築城された山城。天正年間奥村元信の居城であったが、天正11年 (1583)近くの金山城主森長司の攻撃で落城、土塁、井戸等が残っている

「泳宮古蹟」 (くくりのみや) 日本書紀巻七の項に、景行天皇(12代)が即位してのち、景行4年2月から11月(西暦75年)までこの地に行幸しその行在所となった所。当地の八坂入彦の姫「入媛(いいひめ)」を妃とし、後皇后とされたと伝える。

何やら神秘的であるが、西暦75年であるから、邪馬台国の女王「卑弥呼」より古いのだ。宮内庁の指定がないから伝承かも分からない。  市史跡

歩いていても聖地のような気がする。 久々利は古代の歴史が一杯詰まっている場所だ。

久々利集落を離れてひと山越すと、東海自然歩道は「JR下切駅」前を通る。
この鉄道は「太多線」(たいたせん)と言い、中央線の多治見駅から高山線の美濃太田駅間を8駅で結ぶ17.8kmの路線。 中央線と高山線を結ぶ連絡路線で単線。二両編成の気動車が走る

自然歩道は「塩河」、「塩」集落を結ぶ山間の谷筋を行く

今日のゴールは名鉄広見線の「可児川駅」とした、14:30やっと雨が上がった

 [参考タイムを記す] 御嵩駅(7:25)→みたけの森(8:00)→大萱古窯跡(9:20-9:35)→可児市郷土館(10:00-10:10)→二野橋(10:40)→JR下切駅前(12:20-12:30)→塩河(13:00)→農大前(13:50)→可児川駅(14:25-14:36)→名古屋駅(14:54)

この項完

東海自然歩道を歩く(39) 可児川駅-恵那・愛知コース合流点-犬山橋-犬山城へ続く