紀行

水戸街道を歩く(3)

北小金-我孫子宿-取手宿

 平成29年3月29日 池内淑皓

2016年12月23日(晴れ) 北風が吹いているがそれ程寒くない。
北小金宿--我孫子宿--柏宿--取手宿を歩く

「水戸街道全図」  今回歩いたコースは、黒印で小金宿から取手宿まで歩く。

小金宿の地図

小金宿から取手宿までの行程図

北小金駅を元気で出発

JR常磐線北小金駅前のロータリーには、小金宿、小金牧、三跡の光のレリーフが立つ
江戸時代小金は街道の重要な宿場であった。ここには水戸藩専用の本陣が置かれ、歴代の藩
主が休泊している。江戸から丁度一日の行程であったからである。
またこの地は中世から馬の放牧地として名高い、「小金の牧」と言い、幕府直轄の馬の放養地で、水戸街道はその牧の中を通り抜けていた。

「長谷山本土寺の道標」 昔からアジサイで有名な寺。文永六年(1269)の創建
徳川光圀が寄進したとされる松並木の参道があったが、常磐線が通るとすっかりなくなってしまった。駅前に標石のみ残る

「根木内城跡」 小金宿から2kmの街道沿いにある。寛政3年(1462)高城氏が築いた小金城の支城。天正18年豊臣秀吉の小田原攻めで廃城となる、今でも土塁、空堀が残る。

館跡は公園として保存されている。

「香取神社」 江戸初期の創建、小金新田の産土。祭神は経津主命 ここに一里塚があった。

「稲荷神社」 三代将軍吉宗がこの辺りの新田開発を奨励。そのおいなりさん(稲荷)
稲荷とは稲を荷う事。畑や田の外れにあり、大地の恵みに感謝する神、大きな農家には必ずある
ここは新田開発共通の稲荷であろう、藁屋根とお堂の取り合わせが何とも奇妙。

  
「柏宿」 明治29年常磐線の柏駅が出来ると町は大きく発展し、昔の面影は全く失われた。
柏の名は、利根川の水運で栄えた「河岸場(かしば)」に由来する。
昔は見るも苦しき寒村と云われたが、明治41年水戸街道が国道に昇格すると宿駅となり栄えてきた。      
昭和46年駅が橋上駅舎となり、ダブルデッキの近代都市に変革した、人口41万人の中核都市。

「柏神社」 かろうじて昔の匂いが残っている。万治3年(1660)には羽黒神社と唱えていたが、昭和49年に柏神社と名を変えた。 京都の八坂神社と出羽三山の羽黒山の大神を祀る

駅前から離れてすぐ「明治天皇柏御小休」の記念碑がある、明治19年東北巡行の途次小休みした所。

町を離れると古い家が時折顔を見せてくれる

道標があるが読めないぞ

「妙連寺」 衰退した寺と感じたが、ここに陶器製の「仁王像」が文化財としてある

「我孫子宿」 この宿も大きく変容している。駅前の街道筋には昔の面影は見当たらない。

水戸街道 我孫子宿~取手宿

「八坂神社」 宿場を出たところにある

江戸時代の我孫子宿

明治の我孫子宿。 天王社が現八坂神社

「我孫子宿本陣跡」 全く昔の面影はなく、案内板のみが過去を知る  

「昔の割烹料理店 角松」 廃業のような感じ中はひっそり、幟もない。
明治天皇東北巡行では御座所となった由緒ある角松であった。
雨が来そうで写真の映りが悪い

「鈴屋」ここの割烹は繁昌している感じ。 庶民的な感じが繁昌の秘訣かな。 

   
「水戸街道と成田街道の分岐と道標」 右の道を行けば成田へ、左へ本線が水戸街道。
Y字路に道標がある。右布川街道、従是左水戸街道」と彫られている。元禄四年(1691)の建立

「従是子神道」

「柴崎神社」 祭神:天御中主命、素戔嗚の命、大和武尊命
縁起では 景行天皇まで遡り、大和武尊が東征の砌、この神社に立ち寄ったと記されている

柴崎辺りの街道筋は古い屋敷が多い。

脇本陣か名主の家か、

俗に坂東太郎と名付く「利根川」を渡る。
源は群馬県と新潟県の境にある三国山系の「大水上山(1840m)」を源流とし、322km流れ銚子で太平洋にそそぐ一級河川。
長さは信濃川に譲るが、流域面積16,840k㎡は日本一。
首都圏の水源とし、関東平野を潤す穀倉地帯として日本の経済活動上重要な役割を果たしている。
名の通り暴れ川であるが荒川、江戸川に水を分けて、江戸時代から治水を行っている。

川の中央を挟んで千葉県と茨城県に分かれる。このプレートは川の中央に埋められている

長い大利根橋を渡り終え取手宿にゴール、冬の日暮れは早い。 駅前で完歩の乾杯をして帰ろう。

                                                   
この項完

水戸街道を歩く(4)取手宿~藤代宿~若紫宿~牛久宿へ続く