紀行

水戸街道を歩く(7)

府中宿~竹原宿~堅倉宿~小幡宿

 平成29年4月7日 池内淑皓

2017年2月21日(火)晴れ(第一日目) 
今回は府中(石岡)から歩き始めて小幡宿で一日目を終え、バスで水戸に向かい一泊して、翌22日ゴールの水戸へ到着予定で計画を立てた。第一日目を歩いてみよう

「水戸街道全図」今日は府中宿から竹原宿~堅倉宿~小幡宿まで歩く予定(黒印)

「歩行行程図」 今日は石岡宿から竹原宿、堅倉宿、小幡宿まで(3里17町(13.7km))

2月21日(火)上野駅を7時半に出れば、石岡には9:03に着く。

国府の商店街に出て水戸街道に入る。JR常磐線を跨線橋で越えると道路には日本橋から水戸街道の絵タイルが埋め込まれていた。

「石岡一里塚」 両塚共榎が植えられている。国道6号線の両側に残された一対の見事な一里塚

水戸に向かって手前右塚、奥に左塚が見える

工業団地への道を分けて園部川を渡ると「竹原宿」に到着する。

「竹原宿」 江戸から16番目の宿場であるが、元和年間(1615)宿となり、本陣は置かれなかった。
残念ながら宿場の面影はない。国道6号線と合して排気ガスの中を淡々と歩き、堅倉宿に向かう

途中に国道6号線のキロポストがあった。今、茨城県小美玉市美野里町中野谷を歩いている。
堅倉まで2km、水戸まで21km。

「堅倉宿」 集落に入ると、街道は国道から左にそれて宿は取り残されて在った。

「堅倉宿」

立派な屋敷が残っている

一本鎗の名が入る酒屋さん、お酒の名であろうか看板が漆喰で塗り固めてある

「水戸天狗党焼き討ち門」 水戸藩士加藤氏の表門
天狗党は京へ上る途中、元治元年(1864)加藤氏が名主であったため屋敷を焼き討ちされた、この門の柱は幸い焼け残り、史実を伝えるために残したと言う。柱の上部に焼け焦げが残っている。

「旅館角屋」(0299-48-1234)現在も営業中 昔のまま交差点の角にある(営業場所は新道)

宿内には亀甲模様の土蔵もあちこち残り、ちょっぴり昔の風情に触れられる。

「貴船神社」

由緒ある家も時代の波には勝てなかったか、せめて入口の門くらいは残したい

屋敷は取り壊され、土蔵が唯一残された。

「小幡宿」 堅倉を過ぎ巴川を巴橋で渡り、6号線を横切り旧道に入ると小幡宿がある。
宿も小さく、宿場の残滓は何も残っていない。

   
「宝円寺」天台宗。 水戸家の宿舎でもあった

水戸街道は小幡を出ると、また国道6号線に出て、2km程歩くと国道と別れて奥ノ谷 集落に入り、「小鶴」の宿に到る。

「小鶴宿(間の宿)」 忘れられた小さな宿場であるが、ここには茨城町役場がある。 

「如意輪寺」 龍渓山西楽院如意輪時。 天台宗、本尊:如意輪観音は光圀寄進と云う。
”重ねてもここに小鶴の如意輪時、見切りの松をしるべにはして”  碑文より

   
小鶴の静かな町。昔は米屋であったと言う亀甲模様の白壁が珍しい、廂の飾りが凝っている

「こどもや」と云う名の雑貨屋さん  昔なつかしい看板も健在だ。建物は大正期の建築

       
今日はこの辺りが丁度良いから奥ノ谷バス停まで戻り、水戸のホテルに泊まる事にする。

この項完

水戸街道を歩く(8) 奥ノ谷~長岡宿~水戸ゴールへ続く