平成29年8月3日 池内淑皓
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2017年(H29)4月26日(水)雨
名古屋に到着すると雨となっていた、前回は3月23日垂井にゴールしたから、今回は大垣の宿に三泊し、荷物を置いて垂井駅に向かった。雨の中半日行程であるから衣服、靴を濡らさないように傘を差して歩く。
目的地は、美濃国府跡と軍師竹中半兵衛の陣屋を訪ね、伊富岐神社に参拝して関ヶ原駅に達する半日コース。
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垂井から関ヶ原、養老公園、そして今回3日間の旅、最終ゴール目標地点揖斐線の美濃津屋駅までの東海自然歩道全体概念図
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垂井駅-禅幢寺-竹中半兵衛館跡-伊富岐神社-関ヶ原概念図
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雨の中垂井駅で下車し、駅前の観光案内所で情報を入手する。
前回は美濃国分寺跡を訪ね、ここをゴールとしたから、今回は国府跡を訪ねスタートとした。
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相川に沿ってあじさい街道を1km程歩く
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老人ホーム(福祉センター)前で右折すると、美濃国府跡の案内板が見えてくる
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畑の中に小さな杜に囲まれた一角が、美濃國国府址だと言う
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「美濃国府政庁建物復元図」 案内板によれば、政庁は奈良時代中央から派遣された国司の出先機関で、美濃国は八世紀前半に造営され、およそ200年間機能していた。
東西67m、南北73mで塀に囲まれ区画されていた。
古代律令国家の地方官衙の実態を良く残していると云われ、国指定史跡となっている。
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国府跡
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現在は白鬚神社境内となっていた(国府跡の正面入り口)
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じさい街道に出て、1km程歩くと半兵衛の里に出るから、道しるべに従って竹中陣屋跡に向かう
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「竹中半兵衛(重治)陣屋跡」
重治は天文13年(1544)父重元の子として揖斐郡大野町で生まれた。美濃斉藤龍興に仕えていた。
龍興があまりにも凡将であるのを見抜き、ある日従者16名でクーデター、稲葉山城を乗っ取る。
戦国時代には信長、秀吉に仕え、江戸時代には子重門が徳川に仕えた、江戸時代は垂井から関ヶ原一帯にかけて重門の知行地となり、関ヶ原合戦の戦死者の処理は彼が取り仕切った。
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現在敷地は岩手小学校となっているが、櫓門が残されている。この門は旗本では全国唯一の城郭建造物であると言う。
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「禅幢寺」 竹中氏とその一族の菩提寺 曹洞宗
半兵衛館から徒歩5分の所にある。 明応三年(1494)薩摩の金幢寺の僧正?和尚により開基、竹中半兵衛重治と父重元公はここに眠っている。
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「竹中半兵衛重治の墓」
豊臣秀吉に三顧の礼を以って迎えられ、秀吉の懐刀として戦国を戦い抜いた、播州三木城攻略中肺炎(結核)の為病没、36歳の若さであった。
竹中重治の墓は播州三木に在るが、長男重門が天正15年(1587)三木からここに移し、埋葬した。
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竹中重治(手前)、父重元公(奥)と一族、郎党達の墓域
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陣屋へ行く途中に自然歩道があるから、道標をたよりに左折して伊富岐神社に向けて歩こう。
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「伊富岐神社」 創建は不明。和銅六年(713)には存在していたと云う。
古代伊富岐山麓に勢力を持っていた伊富岐氏の祖先を祀っている。近くに古代遺跡や古墳がある。
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境内の傍らに樹齢300年以上と言う大杉がある。高さ30m、根回り9.6mで県の天然記念物
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道標通りに関ヶ原に向かう。
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神社を離れると、静かな里道が古戦場へと案内してくれる。
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雨足が強くなった頃関ヶ原駅に到着。今日はここまでにして大垣に戻る。
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[参考タイムを記す] 垂井駅(11:00)→美濃國国府跡(11:20)→竹中陣屋(12:15)→禅憧寺(11:20-11:30)→伊富岐神社(13:00)→関ヶ原駅(14:10)
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この項完
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東海自然歩道を歩く(48) 関ヶ原 に続く |
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