紀行

東海自然歩道を歩く(53)
楓谷・椿大神社・安楽越・鈴鹿峠・坂下宿

 平成29年11月2日 池内淑皓

2017年(H29)7月23日(日)梅雨が明けたような、明けないような不安定な天気であったが、自然歩道歩きに出かけた。
 今回の旅第一日目7月23日は、6月4日にゴールした楓谷(かえでたに)から出発し、椿神社到着で宿泊。
翌7月24日は鈴鹿峠に至り、旧東海道の坂下宿・沓掛宿をゴールに設定した。(宿泊は亀山のホテル)。
7月25日は沓掛から加太不動滝を越え、関西本線の柘植駅をゴールとした。(電車で亀山に戻り、連泊)
7月26日は柘植駅から霊山を越え、新大仏寺(成田山)をゴールとし、路線バスで上野市駅に出て柘植、亀山と乗り継いで、名古屋から帰る計画を立てた。
さて、第一日目と二日目楓谷から鈴鹿峠まで歩いてみよう。

 
「東海自然歩道全体図」 東京高尾山から大阪箕面まで全長1,343kmコース(総延長は1,700km)
2014年2月東京日本橋から歩き始めて2017年7月現在、三重県鈴鹿市に来ている。
全体の3/4は歩いたかなと思っている。

宮妻(楓谷)→椿大神社→小岐須渓谷→坂本千枚田→石水渓 概念図

「7月24日歩くコース概念図」
椿大神社を出発→桃林寺→坂本千枚田→石水渓→鈴鹿峠→坂下宿ゴール

朝、小田原から新幹線で名古屋、四日市と乗り継いで、四日市駅前から13:13宮妻行きのバスに乗れば、終点宮妻口には14:00に到着する。夕立が来て雨が降り止まない。

宮妻口バス停から自然歩道に降りると、前回ゴールした道に出会う。
前回、東海自然歩道を歩く(52)で記述したように、ここは「楓谷」。

小倉百人一首で詠まれた一枚がここの風景。 “奥山に 紅葉踏み分け鳴く鹿の・・・・
道標に導かれて楓谷を下る。

道は一転して方向を変え、内部川を渡渉する。橋を架けてもすぐ流されるから架橋しない。
上流の堰堤際を通過する。

入道ヶ岳(905m)山麓の開けた扇状地を横切る

小一時間歩けば伊勢の国一之宮「椿大神社」に到着する。

椿大神社境内案内図

「椿大神社本殿」 祭神:猿田彦大神。 全国の猿田彦総社
厳かな参道を抜けると本殿に達する。猿田彦は古事記によると、天孫降臨の時、「ニニギノミコト」を道案内した国津神(古事記では猿田毘古神)で、五十鈴川の畔に鎮座した。

         
「椿岸神社」 猿田彦大神の妻神である「天之細女命」を祀る
提灯には細女本宮と記されている。芸道の祖人、縁結びの神。 

「椿会館」 今宵の休泊所。おひとり様から OK

翌7月24日(月) 天気は上々、会館前から道標に従って鍋川の土手沿いに歩く。

途中で鍋川を渡渉し対岸に渡る、ここも橋が無く、飛び石で越える。増水時は渡れないから下流の山本町に出て迂回する事となる。 またこの川は、江戸時代から暴れ川として有名。

「桃林寺」 臨済宗 本尊:釈迦牟尼仏 開山:養和元年(1181)覚快親王、第二祖は慈円大僧正。 
元弘、建武(鎌倉から南北朝移行期)の大乱で全ての堂宇を焼失した

自然歩道脇の炭焼き窯と石塔群。 炭焼きは現在でも使用される

 
小岐須渓谷を横切る、この辺りは石灰岩の硬い岩盤が屹立、上流には庄内白石鉱山がある

小岐須渓谷先の道標、石水渓まで8kmもある、とても蒸し暑くなってきた、熱中症に注意。

「坂本千枚田」棚田百選の一つ。 私もここで小休止

棚田を維持する農家の人達が高齢化して、所どころ空き畑が目立つ。 
高速道路は名阪国道

せっかくの千枚田、緑一色に埋まると良いのだが残念。

「石水渓キャンプ場」 夏休みの今日は、キャンパー達で一杯、バンガローに宿泊出来る

石水渓周辺観光案内図  自然歩道はその真ん中を横切っている。

「鬼ヶ牙の奇岩」 石水渓は鈴鹿川の支流、安楽川の奇岩を含む渓谷が美しい 
小岐須渓谷、石水渓にかけては石灰岩質の山脈が広がる、雨で浸食された岩稜が良い景観を醸している

「安楽越」 標高494m伊勢から近江に抜ける古道

 
自然歩道は、基本的には三重県を通過するのであるが、この部分一時的に滋賀県内を通っている、折角だからここを通った証に一枚パチリ。

安楽越は、三重県と滋賀県の県境。鈴鹿峠の険阻な道を避けて、近江から伊勢に抜ける間道として利用された。 天正11年(1583)豊臣秀吉は滝川一益討伐の為、ここを通過している。

「上林神社」 安楽峠を越えて、30分程歩くと、山女原(あけびはら)に出る
俳人松永貞徳の句碑:「川音に夏の夜ながき旅寝かな」の句碑がある 貞徳はここに泊まっている

鈴鹿峠へ3kmの表示が出た。

山女原から自然歩道は林道と、山間の道を縫いながら鈴鹿峠に向かう。

「鈴鹿峠」 森を抜けたらヒョッコリ鈴鹿峠に出た。前の道は旧東海道である、ここも近江と伊勢の県境だ。 
江戸時代の書物「巡覧記」では、“峠の立場茶屋あり、左 田村明神宮、三子山、勢州海、丑寅の間に見ゆ” と書かれている。今は伊勢の海が見えない。    

旧東海道を右へ行けば 近江の国 土山宿へ

左へ辿れば伊勢の国 坂下宿へ、私も道標に従って左に折れる。

 旧東海道の一部を歩く東海自然歩道

 
「万人講灯篭」 鈴鹿峠に建つ。江戸時代、四国金毘羅参りの講中が道中安全を祈って建立した。
今は国道工事の為ここに移された(合流点から200m土山方面へ) 高さ5m44cm  重さ36トン

 
鈴鹿峠を坂本方面に下ると、所々石畳が残る。「八丁二十七曲がりにして道狭く険し、清水所どころ湧きて、雨の日は越えがたかるべし」と記述されている(江戸時代の書物(改元)) 

「牛の水飲み場」  東の箱根峠、西の鈴鹿峠と比べられる程の難所であった

 
 
「片山神社」 延喜式内の社。天照大神の荒魂、瀬織津姫命、気吹戸主命、速佐須良姫命、大倭姫命を祀る。文明年中(1496)三子山から移せり。 
室町・江戸時代を通じて、旅人達の守護神として崇敬された由緒ある社殿も、手入れ不足の感じがする。

 
 
「坂下宿」 坂の下駅--古は鈴鹿の山の麓に在りし故、坂の下と言う。然るに慶安三年(1650)九月の洪水にてことごとく頽廃す。これにより十丁ばかり東へ宿を移す。
昔は鈴鹿峠の下にあったと言う。
本陣三、脇本陣一、旅籠四十八を数えたが今は地域のバスが通うだけとなり、一日三本のバスが走る。(8:00、9:25、12:50のみ)。
亀山に帰ると言う、90歳のお爺さん運転の自家用車に乗せていただき、今宵の宿に向かった。

 
 [参考タイムを記す] JR四日市駅(13:13)→宮妻口(14:00)→椿神社(15:15)
椿神社(6:00)→桃林寺(6:35)→坂本千枚田(9:15)→石水渓(10:00-10:10)→安楽越(11:45-12:00)→山女原(12:15)→鈴鹿峠(14:25-14:45)→坂下宿(15:20)---車で亀山駅へ

この項完

 
 東海自然歩道を歩く(54)関・弁天・加太不動滝・ゾロ峠・柘植駅 に続く