紀行

東海自然歩道を歩く(61)
榛原駅・戒長寺・鳥見山公園・長谷寺・近鉄長谷寺駅

 平成30年3月20日 池内淑皓

2017年9月26日(火)(晴れて暑い)今日は、近鉄線の榛原駅(はいばらえき)前からバスで天満台に向かい、ここで室生ダムから来る道を合わせて自然歩道に入り、戒長寺に向かう。
鳥見山公園を経て初瀬ダムに出て、長谷寺をゆっくり訪ねて、長谷駅から奈良の宿舎に向かう。

東海自然歩道概念図(榛原駅・戒長寺・初瀬ダム・長谷寺)  地図:奈良県 景観・自然環境課

名張から近鉄線で榛原駅(はいばらえき)に来て、天満台行きのバスに乗り、終点で降りる。
バス停の前に東海自然歩道への道標があるから、支度を整えて8:00に出発。
一旦国道R165号線に出て、郵便局となりの篠畑神社前に来ると、室生寺ダムからの道が近鉄線の下を潜ってやってくるから、自然歩道の道標に従って歩き始める。

標高差300m程を小一時間かけて登り詰めると、緩やかな高原状の大地に到着する。
額井岳(812m)が良く見える。自然歩道はこの山の裾を巡るようにして歩くことになる。

振り返る室生の山々と、倶留尊山、亀山がかすんで見える

「戒長寺」 集落を登り詰めた奥に戒長寺がある。 真言宗御室派 本尊:薬師如来
平安時代後期には相当の寺院を擁していたと云う。本堂は元治元年(1864)の再建
         
戒長寺からわずかの距離で東屋があり、その奥に 伝山部赤人の墓がある
山部赤人は万葉歌人で、生没不詳など謎が多い人物。

「伝山部赤人の五輪塔」 ここにいつごろ、誰が建てたかは不明。この山里に山部赤人が葬られていると、村人は固く信じて疑わない。
”田子の浦ゆ うち出てみれば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける”

額井岳の裾を巻くように林道が走っている
自然歩道は国道369号線に交差して、ガードを潜って西に向きを変える
「青龍寺」 玉立(とうだち)の集落に入るとひっそりとある。社殿は新しいが、かつては御室仁和寺の末寺であったと云う。 寺仏:大日如来坐像(平安時代後期作)、不動明王 

静かな玉立の集落を抜ける

村の外れに来ると雑草に覆われ道が消える。彼方に見える道標めがけて分け入る
「鳥見山公園」 鳥見山の山麓に広がる高原状の大地が自然公園となっている

日陰で昼食とした。
「髙束城跡」 午後はまた山に分け入り、小さなピークを越すと、高束城跡と書かれた高地に出た。
昌泰元年(838)長谷寺に関係した藤原家賢の居城として、構築したのが始まり。
永禄7年(1564) 松永弾正久秀の攻撃を受けて焼失、城主も討死して廃城となる

「初瀬ダム」 口ノ倉に出ると突如ダムが現れた、ここは桜井市で貴重な水がめとなっている

昭和36年完成の多目的ダム。 高さ55m 貯水量 439万㎥

「長谷寺」 ダムから20分、舗装道路を一目散に下る。日差しが強く熱中症になりそう
この寺は、西国33箇所観音霊場 第八番札所。大和と伊勢を結ぶ初瀬山の中腹に本堂が建つ

まずはここまで来た証に一枚パチリ

長谷寺全体図  牡丹が有名で、「花の御寺」と称される

「登廊」(重文) 仁王門を潜って、399段の登廊を登り詰めると本堂に達する

「本堂」 (国宝)正面からの撮影は禁止 
南面入母屋造り本瓦葺きで 舞台付の大殿堂となっている(本堂横から撮影)
朱鳥元年(686)道明上人が、天武天皇のために、初瀬山に建立。
神亀4年(727)徳道上人が聖武天皇の勅願により、本尊11面観世音菩薩を祀った。
天正時代には豊臣秀長が建て、江戸時代には家光が堂塔を新しくした。
現在の本尊は天文7年突清良覚が楠で彫り、木造では日本最大の彫像

長谷寺門前通り、昔の風情がまだまだ残る

「近鉄長谷寺駅」 長谷寺から駅に行くには大変。かなりの坂道を登る事になる。
バスの便は無いから、お年寄りはタクシーを呼ぶことになる。
まだ日が高いので、もうひと歩きしようと歩き始めたら、足がけいれん。35、000歩 

                                               この項完

[参考タイムを記す] 榛原駅(7:42)→天満台3丁目(8:00)→戒長寺(9:00-9:10)→山部赤人の墓(9:30)→青龍寺(10:40-10:45)→鳥見山公園(11:30-11:50昼)→高束城跡(12:40)→初瀬ダム(13:40)→長谷寺(14:00-14:20)→近鉄長谷寺駅(14:40) 

東海自然歩道を歩く(62) 山の辺の道を歩く に続く