紀行

東海自然歩道を歩く(62)
奈良 山の辺の道を歩く

 平成30年4月6日 池内淑皓

2017年9月27日(曇り)前日奈良駅前のホテルに泊まり、今日は近鉄線の大和朝倉駅からスタートして、山の辺の道を辿り、石上神宮(いそのかみじんぐう)をゴールとする計画、この道は飛鳥から奈良に向かう日本最古の道だと云う。
ゆっくり昔の街道を歩いてみよう、もちろん東海自然歩道もこの道を利用している。

山の辺の道(東海自然歩道が兼ねる) 大和朝倉~天理まで  (地図:奈良県,景観・自然環境課)

奈良駅から桜井駅に出て、近鉄線の大和朝倉駅で下車する。昨日少し飲み過ぎたから遅めのスタートとした。
県道(R199)に出て、海柘榴市(つばいち)集落に向かう。

「右なら道・左いせ道」の道標
海柘榴市集落入口に昔の道標があった。今の金谷は古代からの交通の要衝で、飛鳥から奈良へ
「山の辺の道」、飛鳥から長谷へ「初瀬街道」、榛原から「伊勢街道」、大坂、河内、和泉から 
「竹の内街道」がここに集まってくる。

「海柘植市集落」この辺りは欽明天皇の磯城島金刺の宮が置かれた所で、当時桜井からこの辺りは大陸からの交流地点で「敷島の大和」と言い、日本国の称号と呼ばれる中心地であった。 
街道の要衝の地でもあったから市も開かれ、たいそう賑わったと言う。

「仏教伝来の地」 552年百済から初めて仏教が公式に伝えられた場所となっている。
難波津から大和川を溯って、仏教がここに上陸したと伝わる。

「金谷の石仏」古くは貞観時代(859)、新しくても鎌倉時代の彫刻と云われる(重文)。
右は釈迦像、左は如来像。 右側の石は古墳石室内の石棺の蓋が使われている。

「平等寺」 もとは大神神社の神宮寺で聖徳太子創建と伝える古刹、明治の廃仏毀釈で廃寺となったが、のち再建された。

飛鳥の町を望む。  日本武尊皇子が詠まれる
「大和は国のまほろば、たたなづく青垣 やまごもれる大和し うるわし」

大神神社にて記念に一枚。

「大神神社」 三輪明神とも言う。日本最古の神社。 お酒の神様
祭神:大物主の命。本殿はなく、背後の三輪山全体を御神体山と称す。 
大和の国一宮。 三輪の地は大和文化発祥の地
拝殿は寛文四年(1664)徳川家綱公の再建(重文)

「狭井神社」 花鎮社とも呼ばれ、病気を鎮める神。境内には「狭井の御神水」が湧く

山の辺の道は古代産業道路として、村々を繋ぎながら奈良に向かった、飛鳥から平城京へ35km。
所どころ古の道に出会える。

古事記にも書かれている道、奈良盆地の東側の山地の裾を巻くように南北に貫く。

神社群から離れると、山里に入り風情が増す(柵は防鹿用)

竹藪の縁を通ったり

           
集落の入口には無人販売があったり

奈良は柿が名産で、至る所に柿の実が熟していた。

          
「檜原神社」 三つ鳥居が有名、大神神社の摂社。 三輪山中にある磐座を御神体とする。
社殿はなく、三つの鳥居が横に連なった、独特な様式の三輪鳥居があるのみ。

「景行天皇の陵」(紀元前113~紀元71年) 第十二代天皇。「日本武尊の父」とも伝わる。
自ら九州に遠征し、熊襲を征伐したと伝える。

全長310mの前方後円墳、墳墓の周囲には環濠が残る、この陵は宮内庁が固く守っている。

この辺り、古墳群の間を縫うように道が付けられている風情ある古道だ。

「崇神天皇陵」 BC148~BC30、第十代天皇の陵。初めて大和朝廷の基盤を作ったと云われる。
全長242m、環濠が巡らされている。

         
崇神天皇の航空写真、左右に陪塚がある
天照(アマテラス)を追い出し、大物主(オオモノヌシ)を祀った、実在する最初の大王と言われるが、謎の多い人物。

「黒塚古墳」(国指定史跡) 天理市トレイルセンターから400m西にこの古墳がある。
この古墳から 「三角縁四神獣鏡」が出土した事で脚光を浴びた。

全長130mの小ぶりの前方後円墳であるが、近くには邪馬台国ではないかと云われる箸墓古墳がある。

棺が納められた「石棺」内部の状況(模型)
この古墳を発掘調査した出土品等が、古墳付属の「古墳展示館」で見る事が出来る。

「三角縁四神獣鏡」 この墓からも出土したのである。
魏書東夷伝倭人の項によれば、景初二年(238)六月女王卑弥呼は、魏の皇帝から銅鏡100枚をもらっている。(鏡には景初二年の年号が入る)

「衾田稜」 26代継体天皇の皇后手白香皇女の陵と云う。 宮内庁管理
没年527年。現皇室はこの天皇を以って、初代の天皇としていると言われる。

「竹之内環濠集落」 大和朝廷からはるかに下って室町から戦国時代。
戦乱から村を守るため、周囲に環濠をめぐらし、自衛手段を取った名残の濠。

当然戦乱が収まれば、灌漑用水としても利用された。

石垣を築き、濠を配置し、周りに竹木を植え中が見えないように作られている。

        
「夜都技神社」 茅葺の拝殿に驚くが、その奥に春日大社の四神を祀っている 

内山永久寺跡を過ぎれば里に出て、山の辺の道は区切りの石上神社に近づく。

「石上神宮(いそのかみじんぐう)」 古事記や日本書紀にも登場する古社
明治時代に発掘により出土した 神剣(布都御魂大神)が御神体となっている 

境内に入ると厳かな雰囲気に包まれ、鶏が群れ遊ぶ光景は古代の神秘的な雰囲気が漂う。

「拝殿」(国宝) 鎌倉期の造り、神社の建築物では日本最古級
奈良朝以前から神宮の称号を使っているのは、伊勢神宮とここだけである。
ここには西暦52年百済の使者が献じたと云う「七支刀(ななつさやのたち)(国宝)が納められている。

         
[参考タイム] 奈良駅(7:30)→大和朝倉駅(8:40)→大神神社(940-9:50)→石上神社
(15:20)→天理駅(15:58)→奈良駅(16:20)            33,000歩   この項完

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